信仰は、神なり仏なりに自分が対するもので二元的なものだ。主客を超えてゐない。
主客を超えたところには信仰はない。
ただ、神(仏)という記号(暗号)を通して、主客を超えたものに対する「意識の開き」をもたらすといふ意味では、この主客の相対世界に属している信仰とは一線を画している信仰といふものもあるのかもしれない。
それをヤスパースは「哲学的信仰」と言っていたのかな。
けふの1曲、With or Without You
信仰は、神なり仏なりに自分が対するもので二元的なものだ。主客を超えてゐない。
主客を超えたところには信仰はない。
ただ、神(仏)という記号(暗号)を通して、主客を超えたものに対する「意識の開き」をもたらすといふ意味では、この主客の相対世界に属している信仰とは一線を画している信仰といふものもあるのかもしれない。
それをヤスパースは「哲学的信仰」と言っていたのかな。
けふの1曲、With or Without You
覚醒(意識の覚醒)は、主観と客観を超えた何かの認識だが、それを得たからといって、迷ひから抜け出せるわけではない。
迷ひがある限り、悟りではない。
「神よ、だうしたらよいのか?」
これは悟りではない。
迷わなくなることが悟りだが、だうすれば迷わなくなるのか。
思考の中で生きてゐる限り、迷ひはなくならない。
常に「だうしたらよいか」の世界だ。
迷はなくなるためには、思考から抜け出さなければならない。
必要なときに思考は働けばいいが、それ以外は思考の中にゐる必要はない。
思考なく生きること、それが悟りなのだと思ふ。
けふの1曲 Hello – Adele Cover for Cello and Viola | Nathan Chan and ThatViolaKid
コロナの対処策として国によって違ふやうだ。
多くの国は封鎖(ロックダウン)と外出禁止の措置をとっているが、どこかのニュース記事1(ほかの記事)によると、
スウェーデンは、コロナと共に歩む政策をとってゐるといふ。
外出自由だ。お店もオープン。
日本は、折衷的なところ?(ややスウェーデンより?)。
ロックダウン式かスウェーデン式か、どうちが功を奏するか。
早く免疫ができる道が進化の道(生き残りの道)か・・・
けふの音楽(前も紹介したか忘れたけれど)、ヘンデルのサラバンド
ちょっと時間が過ぎてしまったが、4月8日はブッダの誕生日と言はれてゐる。
一説には、4月か5月の満月(ウエサク)の日とも言われてゐる。
(北伝仏教では、ブッダの誕生日が4月8日、悟った日が12月8日、なくなった日が旧暦の2月15日。南伝仏教では、誕生日と悟った日となくなった日がともにウエサクの日)
そして今年の4月8日はスーパームーン。
シッダールタがブッダ(悟った人)になり、その悟り(覚醒)が全世界に認知されるやうになった。
それまでは一部の人に知られてゐただけだったかもしれない「覚醒」が周知のものとなった。
その功績は大きい。
自分は悟ってゐないけれど、「覚醒」の本をたくさん出して世の人々に認知してもらって、覚醒してもらって、世界認識が変わり(5次元意識になり、時空を超え)、超越者(神)と一つになる(神に帰る)助けになれればと思ふ。
自分も悟らないといけないけれど(笑)。
自分もなく悟りもないけれど。
今、三密はコロナで違ふ意味になっているが、前(今まで)は密教の三密加持の三密。
身口意(しんくい)の三つ、グルジェフ的には、動作センターと感情センターと思考センター。
それら三つをブッダ(覚醒意識)と同じものにしていくということ。
覚醒意識で、考へ、感じ、動く。
即身成仏(いまここで覚醒する。覚醒して生きる)。
こっちの三密まで、意識が行ってくれたらいいのだが。
新型コロナウィルスは、人々を分断させてしまった。お互いに接しないようにさせてゐる。
人々に壁を作らさせてゐる。
愛とは反対の方向にもっていかうとしてゐるかのやうだ。
311のときは、助けに向かえたが、今回はお互いを助け合えない(あえにくい)。
買い物(マスクやトイレットペーパーなど)を買い占めしないくらいの助け合い。
スピリチュアル系の人たちは、コロナを前にして今回だうしようとしてゐるかといふと、
祈りなりをしようとしてゐる。
自分はだうしてゐるかといふと、淡々と冷静に見てゐるだけ。
マスクも手に入らないのでマスクをしてゐない。
アルコールを体内に入れて消毒してゐるだけ(笑)。
昨日も飲み過ぎて変なことを書いたやうだが、何を書いたか憶えてゐない。見たくもない(苦)。
全然、冷静じゃないか(笑)。
コロナ騒動で、外出自粛で、書店さんに足を運んでくれてゐる人がどれだけゐるかわかりませんが、
紀伊國屋書店新宿本店で今井選書フェアをやっています!(笑)
10年前くらいに一度今井選書フェアをさせていただいたのですが、そのとき結構好評だったようで、またやりましょう、となりました。
今回、ちょうどコロナにぶつかったので、だうなるかわかりませんが、足を運べる方は是非運んでくださいませ。
「覚醒がわかる本、文化をひらく本、運を見つめる本」といふテーマで、40冊くらい選んでみました。
覚醒についてはもちろんですが、文化のことや、運(内と外との対応する関係)についても深めていってほしいと思って選びました。
仕事帰りに(またはそれ以外でも)紀伊國屋書店新宿本店様に寄っていただき、本を買ってご自宅で外出しないで読むといふのはどうでせう (笑)。
コロナのときは、読書で内面を深めませう!
新型コロナ・ウィルスに対してマスコミや一部の人達が過剰に反応してゐるやうに見える。
それにあおられてゐるのかゐないのか政府の対応もだうなのかと思ふやうな対応をしてゐる。
新型コロナ・ウィルスそれ自体といふよりも、それに対する人々の反応、対応の仕方が興味深い。
さういふ反応なのか、と。
冷静さを欠き、エゴまる出しみたいな反応。
マスクもさうだが、トイレット・ペーパーもティッシュ・ペーパーも品切れで売ってゐない。
さういふ反応は、一部の人達だけで、多くの人は冷静かよくわからなくて反応なのかもしれないが。
日本人の現在の精神度がわかる。
致死率がそんなに高くない新型コロナ・ウィルスであたふたし、日本の経済や世界の経済までが落ち込んでしまった。
人間とは、人間の社会とはもろいものだといふことが露見した。
今後、致死性の高いウィルスが発生したら、それこそもっとパニックになるのかもしれない。
ウィルスにしろ、巨大地震にしろ、あるひは異性人との遭遇にしろ、隕石の落下にしろ、いつ何が起きてもおかしくない世の中にゐることを自覚し、理性的に生きていかなくてはいけない。
究極的には二元の世界のことは二元の世界に任せ、非二元の意識で生きていくこと。
追伸)
うちのトイレット・ペーパーもティッシュ・ペーパーももう少しでなくなる(苦笑)。
店では売ってゐない。だうしたものか。
新型コロナウィルスのマスコミの反応で、変な世の中になってしまった。
街中はほとんどの人がマスクをしてゐる。
電車の乗客は少なく、居酒屋も普段の半分しかお客さんが来てゐないといふ。
銀座は閑散。
書店も閑散。どうか書店に行ってください!!
経済は停滞し、大不況になってゐる。
ネット販売や家でどうにかするものが繁盛する。
スーパーでは買占めなのか、かなりのものが置いてゐない。
外出を控へて家でまかなふための買い溜めか。
311を彷彿とさせる。
そこまで大変なのだらうか。
全国で100人ちょっとしか感染者が出てゐないのに。
マスコミが騒ぎすぎのやうに思ふ。
その裏には、操ってゐる存在たちがゐるのか。
学校を休校にする必要があるのか。
何か変。
何か異様。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、2月18日付の社説で「日本の消費税の大失敗」と題した記事を載せたそうです。
こちら。
消費税は、逆累進化課税で、また物価を上げるもので、経済的にはマイナスにしかならいといふのは自分の持論ではあるけれど、ウォール・ストリート・ジャーナルも同じ結論のやうだ。
財務省のエリート官僚は、税金がほしさに本来的なあり方から外れてしまった政策を提言してしまった。財務省に言はれた政治家はそれに乗せられて消費税を導入し、しいては10%まできてしまった。
政治家の大部分は目がない。
消費税を導入してから日本の経済は停滞してしまった。失はれた30年間。
経済を回復するには、消費税を廃止する必要がある。
消費税増税の上に、新型コロナウィルスの影響で外出を控えるやうになって外でお金を使はなくなって、中国人も来なくなって買ってくれなく、経済はかなり低迷する様相。
現段階で日本の未来は明るくない。
文化もないし(苦)。