キリストは、自他を超越した意識といふよりもこの世に対して何か超越的な救ひをもたらす。
自他を超えたといふよりも、その人に寄り添って救ふ感じ?
垂直的なもの。
非二元は垂直的ではない。包括的な感じ。
キリストの垂直的にぐっさりくるこの感じとは何か。
多次元的?
キリストは、自他を超越した意識といふよりもこの世に対して何か超越的な救ひをもたらす。
自他を超えたといふよりも、その人に寄り添って救ふ感じ?
垂直的なもの。
非二元は垂直的ではない。包括的な感じ。
キリストの垂直的にぐっさりくるこの感じとは何か。
多次元的?
南無阿弥陀仏は、アミダといふ悟った存在に帰依することだが、それは悟り(非二元の意識)に帰依(サレンダー)すること。
非二元に降参することが救ひなのだ。南無阿弥陀仏。
同じやうに、南無妙法蓮華経は、仏の教え(仏法)(非二元の教え)に帰依すること。
「教え」(経)といふとちょっと観念的で非二元的でないところもあるが、本質は、
非二元に帰依するところに意味してゐるのだらう。
日蓮の狂信的なところは嫌だが。
仏教は本来、非二元の教えである。
今の仏教はただの形式だが(苦)。
いろいろなものごとがうまくいかない。
人事でも次々とうまくいかない。
パソコンも他の電気製品も次々と壊れてゆく。
親族もなくなる。
崩壊へ向かってゐるのか。
自分自身の心も崩れてゆく。
まう駄目なのかな。
ちょっと立ち直りづらい(立ち直れない?)。
スピ系の売りを狙ってゐる本は、どれも似たやうな内容。
それでゐて、奇をてらったタイトルをつけて売ってゐる。
本の寿命も短い。
スピ系の本は、飽和状態にある。
新しいものはそんなに多くはなく、本質をついた深い内容のものも少ない。
こんなんでいいのかな。
大手の出版社は、あるひは売りを狙ってゐるスピ系の出版社はそれでいいと思ふが。
でも良書?が埋もれてしまふ?
スピ系の人が低レベル化してゐるのか、似たやうな内容でも受け入れる心の寛い人が増えてゐるのか。
海外でもそんなものなのかな?
日本みたいに奇をてらったタイトルの本が横行してゐるのかな。
日本のアニメやオタク文化の延長線に今のスピ系はあるのか。
特殊な日本人の特性? それが世界に広がる?(笑)
文化を耕せない。
深めていけない。
他社は、この時勢でコロナ本を出してゐるところもあるが、弊社はコロナ本を出してゐない。
時勢に乗るのが得意でないといふのもある。また、コロナに踊らされたくないといふのもある。
コロナはしかるべきところが指示を出し、冷静にしかるべき対処をするだけと思ってゐるので、弊社がどうのといふのはないやうに思ってゐる。
直接コロナではないが、コロナのことも含む企画の本もある(笑)。
まだ出すかだうか検討中だが。
時勢に乗るのが得意でないといいつつ、アセンション・ブームのときはアセンション本をたくさん出してきた(笑)。こちらがブームをともに作っていったところもあるのかな。
非二元(ノンデュアリティ)は、あきらかにこちらのほうで流行ってほしいと思って、次々と本を出してきた。流行るといふ表現は何だが、やうやく本質的なことが伝はる時代になってきたと思ひ、出してきてゐる。
スピリチュアル系の分野はほぼ出尽くしてゐる観もある。
これからは、より洗練していく時代かもしれない。
本物が残り、人々もより深く習熟していく時代。
逆にAI等で、仮想の世界にはまる人達もたくさん出てくる時代。
覚醒と仮想とが二極化していく時代。圧倒的に仮想にはまる人が多いと思ふが。
仮想も神の一部なのか・・・
疫病にしろ自然災害にしろ、先行きがあまり明るくない現代。
ひさかたぶりの投稿(苦笑)。
最近はお酒が弱くなってしまい、その分、投稿も少なくなってきてしまってゐる(笑)。
歌には神が宿りやすい?
カーペンターズの歌や他の歌手の歌にも神が宿ってゐるのを感じる。
何なのかな。良い悪いは別として。
神が宿ってゐるやうな人もたまに見かける。
良い悪いは別として。
すべての人に内なる神がゐるとか、すべては神だから人も神の一部だとかは別として。
何なのかな。
この地上にゐながら超越した世界(聖なるもの)をかいま見させてくれる。
それとは関係ないかもしれないけれど、まうちょっと自我よりかな、
けふの1曲
テルーの唄・手嶌葵、谷山浩子
先週、2日続けてNHKで「スピリチュアル」という言葉を字幕付きで言ってゐた。
NHKで言ふくらいだから、よっぽど「スピリチュアル」といふ言葉が定着してきたのかな。
抵抗がなくなってきたのだらうな。
いいことではある(笑)。
病気かもしれないが、最近涙が出やすくなってきた。
(涙もろくなってきた)
いつも目がうるんでしまふ。
何かあるとうるっとくる。
だうやって隠すか、わからないやうにするかにてこずる(笑)
年なのか。
けふの1曲、われらがSooBeen Leeのパガニーニの24 Caprices for Solo Violinの24番
(音と映像が少し合ってゐないが)
まう1曲おまけ。次回でもよかったが(笑)
アルゲリッチのプロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番 シンガポール交響楽団 2018年
才能のある人にはかなはない。
今の季節、アルクトゥルスが天頂に輝いてゐる。
ややオレンジ色で真上を見ると見える星(20時頃)。
東のほうには琴座(リラ)のベガや白鳥座のデネブも。
アルクトゥルスは、トム・ケニオンのチャネリング情報の『アルクトゥルス人より地球人へ』でもお馴染みの星で、そこ出身の高次の存在達が地球人の進化のためにいろいろ関わってサポートしてくれてゐる(らしい)。
冬の星座のシリウスやオリオンやプレアデスは夜空から移り変わり、アルクトゥルス、リラ、ベガ、デネブ、スピカなどが見える夏の星座になった。
東京はあまり星は見えないが、幸ひにしてアルクトゥルスは見える。
星の存在達からの恩寵を感じつつ、思ひを馳せたい。
けふの1曲、セゴビアの『光なき練習曲』(「光のない練習曲」とも。けふのブログのタイトルとは反対のタイトルになってゐるが、笑)
“Estudio sin luz“でYoutubeで検索するといろいろな演奏家が演奏してゐる。
セゴビア自身の演奏も(ちょっと早い?)。
今日、帰りの電車のホームで、「チッ、チッ」とずっと言ってゐる人がゐた。
精神がちょっと病んでゐるのかなと思った。
自分も「クソー」とか「チクショー」とかを繰り返し言ってしまふことがある。
(電車のホームではないが)
精神の病に掛かってゐる人に対するのは大変だと思ふ。
自分も精神の病に掛かってゐるのか。