対象ではない

一瞥なり覚醒体験をすると、そこに現れた世界にとらはれてしまふ。
眠り(想い)の世界で見ていた風景と違ふ世界が現れるので、その世界にとらはれる。

そこに出現したものは、あらはな(輝く新鮮な)世界ではなく、そのやうに見える背後(内側?)の何ものかだ。
それは対象ではない。
では、主観か?
それを感得してゐるものがあるのであれば主観ではあるが。
主観でもないやうな・・・

トニー・パーソンズは、「何でもないもの」が「あらゆるもの」として現れるといふ。

また、話は変はるが、今日お会ひしたノンデュアリティの人は、多くの人はノンデュアリティはスピリチュアルの一種だと勘違いしてゐと言はれてゐた。
ノンデュアリティとスピリチュアルは全然違ふ。
スピリチュアルは知識の世界。
ノンデュアリティは知識を超えた世界。
相容れない。

最近は、二つの話題を1回の投稿でしてゐる。
デュアルだ(苦笑)。