覚醒は至福

覚醒は至福であり、至福であるがゆえに覚醒を求めてしまうのだらう。

覚醒や非二元に興味関心がない人や理解がない人は、至福について知らないからかもしれない。

この相対世界の(苦痛の)中で、相対世界を超えた至福のみが救ひになる。

けふの音楽。
『Honza Nori for Solo Violin』 Young Jo Leeの演奏

ちょっとアルボ・ペルトふう。

人間の成長

人間にも虫のように幼虫からさなぎ、さなぎから成虫になるやうな成長があるのかもしれない。

普通の想ひに浸ったまま(想ひに自己同一化している)のエゴの状態が幼虫の状態で、そこから自己想起(一瞥体験)を繰り返してゐる状態がさなぎの状態、そして覚的自己(無の自己)が確立した状態が成虫の状態。

ただ、その過程は昆虫のやうに自然には起こらず、意識的な努力が必要だ。
ほとんど大多数が成虫にならない。

成長ではなく進化といふ表現でもいいのかもしれない。

覚的自己(無の自己)になったときには、タオ(道)のみがある。