真我の認識が無条件の愛の生き方につながる

真我(神)を認識して生きることが、(無条件の)愛の生き方でもあると思ふ。
逆に、無条件の愛で生きようとするとき、真我(神)の認識が生じる。

禅とか、茶道その他の道も、思考を介さずにただ在ること、ただ在る生きたかを伝へるが、
ただ在るだけでは機械的な印象を受けるが、そこには真我認識、神とともに在る認識が伴ってゐると思ふ。
ただ在る生き方は、万物と一体であり、超越者(神)と共に在る生き方である。そこに愛がある。

One thought on “真我の認識が無条件の愛の生き方につながる”

  1. 私はすべては愛(神?源?から発せられるエネルギー的なもの)からできていると思います。だからよく無条件の愛というけれど私には無限の愛の方がしっくりきます。それに私たちは愛と光の存在であると言っている方がいます。いつだって愛はそこにある、ただそれを実感する(これが酔星人さんの言う真我認識にあたると思いますが)のは今の地球では難しいと思われます。

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