なんなのか

結局、なんなのかわからない。
いったい、何をやってゐるのだらう。

『100年の孤独』といふ小説だったかななんだったかがあったが、138億年の孤独。
かたや超越者(根底者)を感じることによる幸せ喜び、かたや138億年の孤独。
なんなのだらう、すべての無意味感。
結局、この宇宙とはむなしいものなのか。
生きてむなしく、死んでむなしい。
生きる希望もなく、死ぬ希望もない。
永遠の牢獄か。
超越者も孤独なのか。

単にそのむなしさは、日々の挫折感が宇宙にまで広げてゐるに過ぎないのか。

シューベルトと内なる幸福

シューベルトの曲には「内なる幸福」を表現してゐる曲が多いやうに感じる。
こんこんと内側から喜びが出てくる。

前にも紹介したかもしれないが、
Clara-Jumi KangのSchubert: Fantasia for Violin and Piano in C major D. 934

同じ曲の個性的なイザベル・ファウストのもの(画像が曲に全然合ってゐないが、苦)

弦楽五重奏曲の「鱒」も、喜びがこんこんと湧き上がってくる曲。

ピアノ・ソナタにしても、とめどのなく内側から何かが出てくる。
リヒテル演奏の
ピアノ・ソナタ 第13番
ピアノ・ソナタ 第21番

霊感なのだらうか。

シューベルトは若くしてなくなったが、たくさんの曲を作曲してゐる。
次から次と曲が降ってくる? 湧いてきてゐたのかな。
いつも内なる喜びで溢れてゐたのか。

外なる覚醒、内なる幸福

覚醒といふのは外に対応してゐる。ワンネス(一体観)にしても超越者の認識にしても感覚的なものであり、また自己知(自己認識)にしても自己といふ対象(外)に対する感覚だ。

超越者の認識、臨在、照明からくる幸福感は、内から湧き起こる。

悟り、覚醒系で「内なる幸福」をメインで言ってゐる人や本をあまり見かけない。
ゐるのかもしれないけれど調査不足なのかな。
ヒルティくらい?
至福の聖者とかもさういふ人達か。
聖者でなくて、覚醒してゐる普通の人で、内なる幸福を語ってゐる本とかあるのかな。

ゾクチェンや虹の体についての本(ついでにチベット仏教の本も)を日本でも伝へやうとしてゐるが、「内なる幸福」についての本もあれば伝へたい(笑)。

内なる幸福は、外的にどんなにつらい状況でも成り立つ。
涙が出る幸福。
怒りや憎しみとは共存できない。

緊急事態宣言 延期?

緊急事態宣言が2週間延期されるといふ。

新型コロナとその蔓延については、飲食店と相関関係はないと個人的には思ってゐるけれど、3度目の延長ってだうなのだらう。

医療機関の体勢の問題だといふ。
医療機関が何の改善をしたといふにだらう。
現場でない医者は文句ばっかりいふ。

飲食店のせいにするな、といひたい。

もっと医療機関の整備をすればいいのでは。
政府もその方向に力を入れたら?

今回の新型コロナも風邪と同じコロナウィルスといふではないか。
効果的な薬(orサプリ)もたくさん出てゐるといふではないか。

即刻、緊急事態宣言を解除してもらいたい。

こんなことを言へば、中国では監獄に入れられ、北朝鮮では命も危うい。
日本や自由主義國だからいへることだが。
ありがたいことだ。

菅さんもがんばってゐると思ふ。
なんでみんな批判ばかりいふのだらう。

超越意識とエゴの意識

非二元の超越意識(ヒルティの神のそば近くにゐる意識)とエゴの意識の間で揺れ動く。行き来する。
すぐにエゴの意識、妄想の意識になる。
そして不快感を表現する。

グルジェフは、「不快感の表現をやめること」を「不変の私」を作ってゆく上で大切なワークと言ってゐた。
非二元の超越意識状態のときは、不快感の表現をやめてゐる状態になる。幸せな感情に満たされ、すべてに対して愛とゆるしの状態になる。

その辺がワーク(修練)だな。
ヒルティのやうに常に神(超越者)のそば近くにゐやうとする努力。

「風の時代」と非二元

「風の時代」といふのは相対世界での出来事で、非二元とは関係ない。
二元の世界といふか、地水火風の四大元素の世界といふか。

色即是空(二元が即ち非二元)、空即是色(非二元が即ち二元)といふ関係性から見れば関係してゐなくもないが(笑)。

二元がなければ非二元を認識しえない。

地水火風のどのやうな状態や配合でも超越した覚醒意識でゐること。

刺激

辻麻里子氏が生きてゐた頃は、いろいろ話をして刺激があったな。

今、あのやうな刺激のある話をできる人はあんまりゐない。

今は刺激が足りない(笑)。

自分にとっては「風の時代」ではない

「風の時代」といふ言葉が流行ってゐるが(自分たちも流行らせてもゐるが(苦笑))、自分にとっては全然「風の時代」ではない。

わりと重苦しい。

「風の時代」に入った早々、緊急事態宣言が出され束縛され堅苦しい生活になった。
がっちがちで「風の時代」ではない。

人々の交流が出来にくいといふことは風が通ってゐないこと。

社会体制は「風の時代」でないが、心は「風の時代」か?
風が通るように軽い心の人はゐるのか?
少なくとも自分はさうではない。
仕事の重荷はどんどん増し、耄碌も増え、きつい。
「風の時代」ではなく「強風の時代」か(笑)。

人間は天体の運行に左右されるのか。

グルジェフ的には外部の影響に左右されるのは「不変の自己」ができていなくて、機械にすぎないといふ。
この世界を超越した意識で生きてゐるのであれば、「土の時代」だらうと「風の時代」だらうと関係ない。
「風の時代」もいずれ「水の時代」「火の時代」になり循環していくだけのこと。
何か良い時代になるといふことを意味してゐない。