「目覚め」、「覚醒」は、別の表現では、「氣づき」と表現される。
なぜ「氣」がつくのか? 「氣」と関係があるのか?
仙道では、修練法として「練氣化神」といふのがある。
氣を練って、神(仙道では意識のこと)に変化させていく、という修行。
「氣づき」を通して、「覚醒」を強化していく感じなのかな。
今度出す『悟りを生きる』も、「氣づき」の練習をするようにと書かれてゐる。
訓練をつむことによって、短期間の「氣づき」が次第に長時間の「氣づき」になると。
まさに「練氣化神」だ。
「練氣化神」とは、覚醒法なのだ。
小周天や大周天が、「練氣化神」ではないのだ。
それらはただ「氣」をめぐらせるだけのもの(?)。