どちらかといへば反神武、反天津神だ。
神武も天津神もどちらも征服者。
大国主が日本を治めていたのを、渡来?(朝鮮、ユダヤ?)の民(天津神)が国を譲れと武で脅して譲らせた。
それで降り立ったのが高千穂という日本の中心部の外れのところといふのも面白いが。
全国(中心は奈良、三輪山)を治めていた大国主は、出雲に幽閉された。
神武も九州の日向(宮崎県)の地から東征して大和(奈良県)に熊野側から攻め入って、征服してしまった。
その過程で、地元の部族を皆殺しにしていった。
何の必要性があって九州から奈良地方に攻め込んできたのか。
弥生時代から古墳時代にかけての動乱の時代だったのだらうけれど。
それで銅鐸文化が滅んだ。
三本足のカラス(ヤタガラス)など高句麗と共通項があり、天皇家はそっち方面なのか。
最初に九州に入り、その後に奈良を征服していったのか。
言語的に高句麗、扶余系の言葉と共通するところもあるようなので。
古事記、日本書紀は外部からの征服の歴史だ。
日本の神々はだうなってゐるのか。
とっくに和解して、古今の神々(国津神と天津神)が協力してお守りしてくださってゐるのか。
または、さうでないか(苦)。
縄文はだうなったのか。
弥生とは何だったのか。