意識がいくら覚醒(一瞥、トランス)してゐても、心が満たされてゐるかだうかは関係ない。
覚醒してゐても、心は満たされないことがあると思ふ。
覚醒(悟り)は意識の領域だが、心は意識の領域ではない。
心は満たされないとき、物質的に満たさうとする。
俺はいつも心が満たされない。物質的に満たさうとしてゐる(苦)。
意識がいくら覚醒(一瞥、トランス)してゐても、心が満たされてゐるかだうかは関係ない。
覚醒してゐても、心は満たされないことがあると思ふ。
覚醒(悟り)は意識の領域だが、心は意識の領域ではない。
心は満たされないとき、物質的に満たさうとする。
俺はいつも心が満たされない。物質的に満たさうとしてゐる(苦)。
次のスタピの特集で、宮澤賢治の特集をしやうと思って、いろいろ調べてゐると、賢治は法華経信者だったらしい。
それで法華経とはどんなお経なのかをあらためて調べてみたら、やはり(笑)、
無内容で、効能書きばかり書いてあるお経だった。
『法華経』というお経の中で、法華経を信じると効能、利益があると説いてゐるけれど、肝心のその法華経とは何かが書かれてゐない(大笑)。
荒唐無稽なことが書かれ、ブッダの弟子たちがおとしめられ替わりに(存在のよくわからない)菩薩や佛が出てきて、変な人たちを救っていく(笑)。
変な塔が出てきたり。
よくこんなのを、支那や日本の中世で信じられ尊重されてきたものだなぁと思ふ。
日本の天台宗は、法華経を根本に置き、鎌倉新佛教は、天台から発生し、日蓮宗はもろだが、禅の道元でさへ法華経を引用しながら著作してゐた。
江戸時代の禅僧の白隠も最初は法華経を軽んじてゐたが、中年になって感動したりしてゐる。
明治以降も、日蓮宗系の新興の団体や新興宗教がわんさか出てきた。
内容がないのに、よくまあ出てくるものだと関心する。
よほど扇情的なのだらう。
僕は佛教徒たりえない。
大乗非佛説はしかりだが、密教も超能力系だし、南伝佛教(上座部佛教)もなにか覚醒とは違ふやうだし。
覚醒(悟り)の本家的な佛教が、こんなのではだうしやうもないな。
ヒンズーのアドヴァイタや、イスラム教のスーフィ、キリスト教神秘主義のほうが、まだ純粋なところがあるか。佛教では禅の一部がちょっとだけ残ってゐるのか
純粋な覚醒系がいい。
葬式佛教も、もっとすっきりして今の時代にあったものになったらいい。
覚醒とは別に、霊相手の供養も必要だから。
前にも書いたかだうか憶えてゐないけれど、また?書いてみる。
何年か前に銀座を歩いてゐたときに、通りを前方から歩いて来て通り過ぎていった女性に神を感じたことがある。
普通のOLだったか、さうでなかったか、3、40代の女性だったが、表情や振る舞いに何か超然とした神々しいものを感じた。オーラがすごいとか、さういふものではなく、ごく自然な動作なのに、神、と呼べるやうな何かを出してゐた。
いまだに、記憶に残ってゐるといふのは・・・
酔っ払いで、記憶力もない俺ではあるが。
よほど、何かに(静かに)打たれるものがあったのだと思ふ。
イエスも、もし現代に生きてゐたのなら、同じやうに感じるのだらうか。
通りすがりでも、神を感じるのだらうか。
今も世界中のいたるところで、神のやうな人がひそかに歩いてゐるのだらうか。
今月の新刊3冊目は、
『インナーメッセンジャー』
著者は、湘南やすらぎの家の川上貢一(コウ)さん。
コウさんは、毎日メルマガで「インナーメッセンジャー」を発行していますが、
そのメッセージから選んだものと、コウさんの自伝的エッセイが合わさった本です。
メッセージは、いろいろな気づきや勇気をもらえます。
エッセイは、コウさんの生きてきた過程に感銘します。
そこには澄みわたった何かを感じます。
『奇跡のコース』(奇跡の道)を長年学ばれてきた中で、
ご自身、聖霊からの声をメッセージとして受け取り、
勉強会で参加者とシェアすることにより、
より純粋なものへと昇華されていったのだと思います。
「罪がない」とはだういふものかが、わかってきます。
本日発売の
『DVDブック マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる ―「覚醒」超入門』
『あなたも私もいない』
が、amazonの形而上学部門でダブル1位を得ました!
最初に
『DVDブック マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる ―「覚醒」超入門』
が1位になり、
今現在、
『あなたも私もいない』
が1位です。
ありがたうございます!!
投稿が少しあいてしまった(笑)。アルコール漬けの日々。
『マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる』は、タイトルから覚醒(悟り)のキーとなるものを傳へられればと思ひ、そのタイトルにした。買ってもらえなくても、そのタイトルを頭のどこかにとめてくれれば、覚醒(悟り)へとつながるキッカケになってくれると思って。触れる機会が多くならんことを!
今月の新刊の2つめは、リック・リンチツの『あなたも私もいない』だ。
この本を出そうと思ったキッカケは、resonanz360というブログのHiroさんのお薦めがあったから。
「個人はいない」といふことを徹底的に語ってゐて痛快な本だ。
大和田菜穂さん顔負けだ(笑)。
非二元(ノンデュアリティ)の本質をよく表現してゐる。
3月刊行予定の新刊を紹介したい。
まず始めは、
『DVDブック マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる ――「覚醒」超入門 』
だ。
エックハルト・トール、ディーパック・チョプラ、特別ゲスト:ウェイン・ダイアー
といふ超豪華メンバーが、「覚醒」について語ったDVDブック!
元のはDVDだけのものだったが、交渉して本付にしてもらった。
本としても読みたいと思ったので。
もう、それぞれが、「覚醒」についてのポイントのところを語ってくれてゐる!
短い文章の中にエッセンスがぎゅっと詰まってゐる感じ。
DVDで各先生から伝わるプレゼンス(臨在)もあると思ふ。
元のタイトルは、”Who Is Asking “Who Am I ?” 「“私は誰か?”と問うのは誰か?」
だが、ちょっとラマナ・マハルシよりのタイトルで、これも本質をついたタイトルだが、
より内容のことを表はし、「覚醒」の基本を表はす、
「マインドとの同一化から目覚め、プレゼンスに生きる」
といふことをタイトルにもってきた。
ちなみに、”Who Is Asking “Who Am I ?”は、本DVDでディーパック・チョプラが
語ってゐる言葉。
「覚醒」超入門とサブタイトルを付けてみた。
まさに「超」入門といふ感じ(笑)。
是非、見てみて。読んでみてください。
今日は、東京は夜から小雨が振り出した。
駅から傘を持たない人たちが走りながら家路に向かってゐた。
それを見て、大学時代の記憶を思ひ出した。
原宿の交差点で雨が降ってきたときに、赤信号で待っている手前の傘を持っていなくて困ってゐるやうに見えた女の人たちに
傘どうですか、と傘を渡さうとしたら、走って逃げられた(笑)。
同じ学部の当時の友人も一緒につられて傘を渡さうとしてゐたのだが・・・(笑)
変な記憶だ。
田舎から出てきたばかりでうぶだったのか。
女心を知らなかったのか(今も知らないが、苦)。
とりとめもなく書いてみやう。
(いつもか)
アメリカ人? クリスチャン? の子どもたち、青年たちは、純真な印象を受ける。
それに比べると日本人の子どもや青年は、純真な印象を受けない。
なぜなのかな?
クリスト教の影響なのか。
純真であるが故に、若者は反抗的な文化、ロックみたいなものも創ったのかもしれない。
日本には純真なところが少なくて、土くさいところが多い。
純真さは、顔に出る。
クリスト教の神は、裁きの神であり愛の神であるが故に、
精神に影響を及ぼさざるをえない。
日本には、そんな神はゐない。
のほほんと生きてゐる故に、顔ものほほんとしてゐる。