リラックスと根本からの安心

リラックスといふのは表面的な印象だ。
表面から弛緩させて、深いところまでゆるめていかうとするものだ。

それに対して、根本からの安心は、文字通り、根本のところから安らぎがあり、そこから表面へと伝はる。
これは「悟り」や、浄土真宗の妙好人のやうな絶対的な存在への明け渡し(サレンダー)によって得られるものだ。
聖者や名人達人は痴呆の如し、と言はれるが、完全に安心しきって、ゆるんでゐるからだらう。

絶対的な存在へ明け渡すこと、そこからくる安心は、絶対神を持つキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒にはあまり見られない。
彼らは、常に彼らの神から監視されてゐて安心どころではないからだらう。
裁きの神。

裁きの神には明け渡せないなぁ(笑)。

根本からの安心は、死を受け入れたときに起こる氣がする。
死んでも大丈夫という気持ちになったとき。
死ぬ氣で頑張れ、とは違ふ(笑)。

神にすべてを託しきれるか否かで決まる。