対象化しえない神

スピ系は何でも対象化してしまふ。
高次の存在は対象として見ることはできるが、神(といふ表現は適切ではないかもしれない。包越者)は
対象化しえない。偶像は作れない。
主観と対象を包越する何か。

包越者に、意識を向けること。

縦(垂直)といふもこれを指すのか。
対象化できるものは平面だ。水平の世界。

ハムレットは、包越者に意識を向けながら生きた(劇の中で)。
「生か死か、それが問題だ」といふとき、そこには包越者への意識がある。
包越者への問ひかけがある。

イエスは、その典型だ、常に包越者に意識が向いてゐる。
「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」

垂直との関わり

次の元号が「令和」になった。
いろいろな意見があるようだ。命令の令で統制や軍国主義や戦争のイメージがあるとか、文字のエネルギー的にもあまりよくないとか。和を令せらても、という感じはあるのかな。まあ、どんな時代になっていくのか・・・
同じ音を使ふのであれば「霊和」がよかったかな。霊(スピリット)が調和していく感じで。

それはともかくとして、
Kan.さんも言はれてゐるやうに、スピリチュアルの道においては平面(平行)の関係だけでなく、垂直のものがだうしても必要だ。垂直のないスピリチュアルは、ただの遊びといふか何の意味もない。本においても平面的な本ではなく、垂直のものがある本を出していきたい。

垂直とは霊感だったり、聖なるものを感じこと。相手と面していながらそこに聖なるものが介する。
人への愛が同時に神の臨在を表してゐるやうに。

チャネラーのマスターとは?

いろいろなチャネラーがいろいろなマスター(同じ名前のマスターだったりもする)のメッセージを伝へ、それらを本に出したいといふ。
最近も何人もの方からさういふ企画の連絡があった。

それって、だうなんだらう?

メッセージに特化したものがあるのか、本当に高次の存在なのか。

それら霊的存在たちは何を伝へたいのか。

メッセージ攻めみたいになって、こちらもアップアップ(苦)。

何が何で何のか?

ちなみに他からの企画は受け付けてゐない(笑)。

エネルギーレベル低下

去年の暮れ(後半)から(その前からでもあるが)、本の校正でかなり時間をとられ、日々の業務の量もかなりあり、現在、エネルギーレベルがかなり低下してゐる。アップアップで肉体的にも腰に来ていて、他にもいろいろやられてゐる(何割かは霊的な影響もあるかもしれないが)。激痛。
まともにメールにも対応できない。
メールにお返事ができなくてすみません!

業務量を4分の1くらいにしたい。

あまり頼られすぎても困る。

頼られるよりも自分の好きなことをしたい。

まう、限界に近くなってゐる。

この世界に氣を入れることと、この世界から氣を抜いていくことと

二つの道がある。
この世界に氣を入れることと、この世界から氣を抜いていくことと。

成功哲学や引き寄せ系は、この世界に氣を入れてだうにかしやうとする。
『奇跡のコース』や覚醒系は、この世界は幻想だから氣を抜かうとする。
この世界なんかだうでもよい、だうならうが幻想、夢幻で、ゆるしまくって脱出する。
傷ついてもカルマの応酬なので甘んじて受け入れ、それでカルマも解消し、
あとは、それは幻想とみなして解放する。

この世界から脱出する。

この世界で、氣をつかひすぎて本を出版し、疲弊する。

人々の気づきになればよい(よいと思って出版する)が、それは結果としてだうなるかわからない。
ひとりよがりなのかもしれない。

氣を入れればいいのか、氣を抜けばいいのか。

意識が別次元をさまよってゐた?

今日、セッションを受けた先生から、数年前から意識が別の次元をさまよってゐて肉体にゐないと言はれた。
自分では自覚できてゐなかったが、さうだったのかもしれない。
セッション中に意識を肉体に戻してもらい、故郷の星も自分の中に入れるように誘導してもらった。
そのお陰か、体が温かくなった。

忙しすぎて、逃避してゐたのかな(笑)。
逃避してゐても仕事から逃げられず、こまごました仕事をこなしつつ、意識は逃げてゐたのかもしれない。
今でも逃げたいくらいだ(笑)。
なぜ、こまかい仕事がこんなに多過ぎるのだらう? 身体も精神ももたない。時間も足りないし。
寝てゐても仕事をしてゐるとその先生から言はれた(苦)。
そして、いくら休んでも疲れが取れないと。

でも、意識が肉体に戻ってきたので、何かが変はるのだらうか?
2週間くらいかけて変成していくと言はれた。
だうなるのかな。

丹田の道

マインドの道、ハートの道以外に、丹田の道があるのかな。

マインドは上丹田、ハートは中丹田。

下丹田に氣を集める道もあるのかと。

それが、日本の武道の道なのか。

下丹田は、グルジェフの動作センターなのかな。

丹田の道は、氣を下に落とすことによって、ノーマインドになりえる。
(肥田春充の悟り)
ただ、ハートを開くわけではない。

ハートに氣を注ぐべきか、下丹田に氣を注ぐべきか。

武道の極意はどこにも氣をとどめないことと言はれてゐるが。