幻想としての現実

年とってきたせいか、いろいろなものごとに対して関心が薄れてきてゐる。

見える世界が幻想であり、超能力も霊的なことも宇宙人も幻想。
超能力も霊的なことも宇宙人もあって当たり前で普段の生活と何の変わり映えもしない。
すべてが幻想としての現実。

幻想だと思ふと氣持ちものらない。

人の真実

自分はエゴの塊りでだうしやうもないが(偽善者だが)、人の真実といふものは歴然とあるやうに思ふ。

今まで、いろいろなメディアが人の真実を伝へてきた。

弊社も人の真実を伝へていきたい。

人の真実・・・

エゴをなくすには明け渡しが必要

覚醒(一瞥:一瞥だけでなく何瞥でもあるが)は、クリシュナムルティの自己認識、グルジェフの自己想起、ラマナ・マハルシの「私は誰か」の認識をすれば起るが、
覚醒してもエゴ(マインド)は抜け落ちない。温存されたままだ。

エゴが抜け落ちるためには、明け渡し(サレンダー)が必要なのかもしれない。
神でも全体なるものでも超越者でも呼称は何でもいいが、さういふものに自分を明け渡す。
自己を放棄する。
ひたすらの明け渡し・・・

それとは別に、不思議に思ふのは、運氣といふのは悪いことは重なり、一つの悪いことがなくなると他の悪いことも消えてゆく。運氣には波がある。
エゴは運氣に振り回される。
超然としてゐれば、それこそ、エゴがなければ、振り回されなくてもすむ。
本山博さんは「超作」と言はれた。

短氣は損氣

だうもエゴが、マインドが落ちない。
すぐ短氣を起こしてしまふ。

カッとなって、壁を足で蹴ったら、足の親指が内出血してゐた。
前も椅子を蹴ったら、足の中指を怪我をし曲がったままだ(骨折か)。

肉体の怪我だけではない、進行的にも遅れ、経済的にも損をする。

短氣は損氣だとは、よく言ったものだ。

カッとなるのは、人の不愉快になることを言ってくるからだ。
電話越しに言われた場合、前は何個も携帯を壊した。

エゴがあるから、マインドがあるから反応する。
ノーマインドであれば反応しないから、カッとならない。

大坂なおみは、短氣だったが、コーチのおかげか我慢強くなり、全米オープンテニスで優勝した。
徳川家康は、我慢・忍耐で最後に勝利した。

我慢・忍耐か、ノーマンドか。
我慢は、もともと我の慢心からきた悪い意味だが、現代の用法では、耐え忍ぶ意味合いだ。

ノーマインドになれば耐える必要がない。馬耳東風だ。
エゴがあるうちは耐え忍ばなくてはならない。

早くエゴを落としたい。

不愉快千万

編集者は勝手なことを言っては降りたりする。そんな編集者が多い。減らず口をたたく。不愉快千万だ。
ノーマインドで対処しようと思ったが、これでもかと突いてくる。

わずらわしい世の中だ。

こんな仕事は辞めたい。

バッサリ

今日お会ひした人によると、いろいろ依頼してくる人に対して、バッサリしていいと言はれた。

断ると可哀相だと思ってしまふが、それはそれで相手は次のことを考へるからいいとのことだ。

自分の性格的に、できない人はできない人なりにやってもらえればいいといふのが(小中)学生の頃からあった。
それが今の会社でも踏襲されてゐるのかもしれない。
シビアな人は、できない人を容赦しない。

ある程度、バッサリしないと自分のやりたいことができなくなる。

調整業

著者、訳者、編集者、DTP、印刷所、社員、いろいろな人と調整してゐる。
調整業が仕事のほとんどになってゐる。
調整ばっかりしてゐると、精神の平衡をもたせるのが難しい。
自分は調整業には向いてゐない。

精神の平衡をもたせるために酒に走ったり、いろいろなものに走ったりする(苦)。

ノーマインドであたればいいのかもしれないが(苦笑)。

会社を創業のころは、自分のやりたいことに向かっていろいろ動いていたが、
今は、人のやりたいことを調整してゐる感じだ。
自分のやりたいことがあまりできてゐない。

斎藤一人さんだったか、依頼されてばっかりだと運を落とす、と言ってゐた。
今、人の依頼事ばっかりしてゐるやうな、、、すべてではないけれど。

なんとかしないと。

時代を作るとは?

最近、またエンヤを聴き出してゐる。

エンヤは一時代を築いた。

時代を築くとは何だらう?

ナチュラルスピリットも一時代を築いたのか・・・

しかし、ナチュラルスピリットは過去形では終らない。

人々の意識を開いていかなくてはいけない。

マインドに閉じこもってゐる意識をひらいて、神なる意識にひらいていかないといけない。

地球上の人々は神なる意識にひらいていかなくてならないのだ。

そのためにわれわれは在る。