姓名判断

だいぶ前に、ある氣功の先生に、本名の「今井博樹」の名前が弱い、と言はれた。社長をするのであれば、強い名前にしたほうがよい、と。

その後もしばらく本名を使っていたが、経営もたいへんで、原宿から銀座に引っ越すあたりで、姓名判断の本を読んで「今井啓稀」に変へた。銀座に引っ越した当初は、物件が良かったのかどうか、リコネクションが流行って、わりとアゲアゲ状態だった。

その後、千駄ヶ谷に引っ越すときに、別の姓名判断もする霊能者から、名前があまりよくない(完全ではない?)と言はれ、その霊能者の先生と言われる方に名前の候補を3つ上げていただいて、「今井博央希」といふ名前を選んだ。この三年くら使ってきた。

最近お会ひした霊能者の方から、名前には1~14レベルくらいの波動?(天界から地獄レベルまで)があるらしく、本名の「博樹」は、12前後とかなり低く、「博央希」は5~7レベルと言はれた。どうせなら高いレベルの名前がいいかなと思ひ(苦)、その霊能者に名前を探していただいた。それが「宏紀」だった。やわらかいエネルギーでサポート入る名前らしいのだが、どうもピンとこなくて、周りの人たちからも僕らしい名前ではないと言はれた。

それでその霊能者にそのことを伝えると別の名前を探してくれた。「博揮」だった。これは強い名前らしくガンガン行くエネルギーらしく、自分もまわりもまきこまれてしまふ要素もあるとのことだった。

「宏紀」も「博揮」も2~3レベルといふ。「宏紀」は自分らしくなく、「博揮」は筋反射テストで自分には合わない感じだった。使はせていただくか迷ってゐる。
実験として、8月に出版した本の奥付の発行者の名前には「今井宏紀」の名前を使ってみた。本の売れ行きが良いかで判断しようかなと。
9月の出版物には「今井博揮」を使ってみようかな(笑)。

神がかり

スポーツに興味がなく、オリンピックもだうでもいいのだが、いろいろ感じるところはある(笑)。

卓球の水谷選手は、ゾーンに入ったプレーをしてゐるといふアナウンサーか解説者の説明があった。ゾーンに入ると何か神がかり的な力を発揮するのかもしれない。

バドミントンの高橋、松友選手を、予選かその後かにテレビでその姿を見たときは、何か感じるものがあった。涙が込み上げて来そうな。何かが入ってゐるといふか。優勝するのを感じさせる何かがあった。

さきほどの決勝戦で、高橋、松友選手は、前に見たオーラをあまり感じさせず、もしやデンマーク選手に敗れるのではないかとも思はせる感じもあった。

だが、おそらく神か何かがついてゐたのかもしれない。優勝し金メダルを取った。

何かを成し遂げる人といふのは、何かを持ってゐるのかもしれない。

 

 

月山

お盆休みのときに、標高1984メートルの月山(がっさん)に登った。羽黒山(はぐろさん)方面から8合目まで車で行き、そこから3時間掛けて山頂まで登った。石の登山道で、湿地帯の池、万年雪、色とりどりの高山植物が目にとまった。

山頂には月山神社があり、月読命が祭られてゐるとされるが、出羽三山の一つで修験道の山であり、神仏習合が古くから行はれてゐた。

下山中、大きな法螺貝をふく若い修験僧が登ってきた。

山頂の月山神社は、『延喜式神名帳』では名神大社とされ、明治時代には東北地方唯一の官幣大社となってゐるが、神社の建物自体は、質素な感じである。
案内板には、「東33カ国の総鎮護」と書かれてゐた。

神社内は撮影禁止なので、石鳥居の外から写真を撮った。GASSAN

神社内では、月山の神様のほかに、大黒様やお稲荷さんも祭られてゐた。
参拝する前に、独特の祝詞でお祓いを受けた。

天気が良かったのだが、半袖のシャツで登ってしまひ、かなり日焼けをしてしまった。
登山をよくしている親戚から、登山は長袖が必須と後で教へられた。

1000年先?

新刊『1000年先の地球のために』を出したのですが、1000年先って身近ではなくて、果たして売れるのかな?とも思つてしまひます。未来の地球のことを考へて、マインドコントロールされずに、今、よりよい選択をしていかう、といふものです(宗庵さん的にはご自身の次に生まれるのが1000年先とのことです)。

1000年先という時間の概念って、だういふものだらう。よく時間は幻想で、すべては「今ここ」にあると言はれたりする。1000年先も「今ここ」にあることになる。今ここに1000年先をかかへながら、また過去もどの未来もかかへながら生きる(とは?)。
意識の中にすべてを包摂し、運行してゐる感じか。

マインドコントロールといふ幻想と、時空といふ幻想の二重の幻想の中で意識は生きてゆく。

UFO

去年だったか、一昨年だったか、山梨県韮崎市の旭温泉に行って、温泉から出た100m先くらいのところ(高さも100mくらい?)に金属質で光が回転して物体を見た。

飛行機か何かと思ってまわりを見渡して、またUFOのあったところを見たら消えていた。

同行した二人も同時に見たので、個人の錯覚ではないと思ふ。

あまりにリアルなUFOだった。

新刊『人類の保護者』は、UFO体験をした人(多くは記憶から消された人)に退行催眠を掛けて、実際に何があったかを検証した貴重な記録だ。

淡々とした記述の中に、科学性も踏まえながらも、深層の真実に迫ってゆくドロレス・キャノンの手腕はすごいものだ。

非二元と自己愛

今日、編集者と会って話してゐるときに、非二元と自己愛との関係について話題が出た。

今、流行ってゐる非二元は形而上的で、現実的な部分では自己愛がこれから流行るのではないかと言ってゐた。

自分を愛せなくなってしまった人へ』を装丁家にお願ひしたとき、その装丁家が、今別の本で自己嫌悪についての本の装丁の依頼も受けてゐると言はれてゐて、今、自己嫌悪や自己愛について「来てゐる」のかなと思った。

非二元(ノンデュアリティ)は、今売れてゐる『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(サンマーク出版)の後半にも出てきて、結論的な意味合いでも言及されてゐる。その本ではノンデュアリティの先に何かあるやうなことが書かれてゐるが、僕個人の意見ではそれはないと思ふ。

それにしてもその本を編集したサンマークの編集者の金子尚美さんは、すごいな。『「龍使い」になれる本』も編集し、ヒットしてゐる。100万部のベストセラーも何冊も出してゐるらしい。うらやましいかぎりだ。

ひるがへって、自己愛って何だらう? 人はなぜ自己嫌悪になるのだらう。

社会的な何かのやうな氣もする。それが自己愛へと変換するといふのはだういふことだらう。

自己嫌悪とは自己否定であり、自己愛とは自己の肯定でもある。

自己を肯定したとき、すべてが肯定される。

すべてが肯定されるとき、心が解放され、世界は輝く。

非二元だ。

 

実験

ブログを書くのは初めてだ。

設定自体もまだよくわからない。

人前に出るのが苦手で、また出られるような人間でもなく、人前に自分の文章をさらすのもだうかと思ふが、弊社のホームページのアクセス数を増やし、弊社の本の売上にどう影響するかといふ実験のために、このブログを始めることにした。

職業柄、また立場柄、いろいろ言葉を控えないといけないこともあると思ふけれど、支障のない範囲内で、テキトーに書いていきたい。

性格的にネガティブ満載で、向こう見ずなところもあり、実験結果が思はしくなければこのブログも閉鎖することになるだらう。