セミリタイア

まう仕事の量が多すぎて、処理しきれず(処理しても処理しても追ひつかず、追はれっぱなしで)、精神的にかなり参ってしまった。
精神的に疲労困憊。まう疲れ過ぎてしまった。機能停止状態。
精神が病んでしまう。まう病んでゐるか・・・。

セミリタイアするしかない。
仕事の大部分をスタッフに任せて。

一時期、本田健さんとかセミリタイアとか言って流行ったが、お金を持ってゐる人たちと違って、自分の場合は精神が悲鳴を上げてゐる故のセミリタイアだ。

けふの1曲。
前回に続いてショスタコーヴィッチ。
Piano Trio No.2 / Kremer Maisky Argerich (1998 Movie Live)

精神が機能しきれてゐない様をよく表してゐる(笑)。

感謝は迷惑?

神社で神様に感謝するのは、神様に迷惑を掛けてゐるのかな。

頼みごとをされるのは迷惑だろうけれど、いちいち感謝されるのもめんどくさく思はれるかもしれない。
自分ならめんどくさいと思ふ。
何かして「ありがとう」と言はれる分にはいいが、なんでもかんでも「ありがとうございます」「感謝しています」と言はれるとうんざりする。

神様は神様の働きがあり、それを邪魔しないことがいいのかな。
神社に行っても(神棚でも)、ただその働きに感応するだけでいいように思ふ。
ご神氣に感応する。
さうすれば、自分の気も清められ、心も清められ、気持ちのいいすがすがしい状態になる。
それが神様も喜ばれるのではないか。
祈りといふのも、同じなのかな。神様に氣を合わせる。
イエスの言はれた第一の律法「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」にも通じるのか。

 

それにしても仕事量が多過ぎる。処理しきれない。どうにかしたい。
このままだとパンクしてしまふ。変になってしまふ。
仕事の多さに机をたたきたくなる。マウスをバンバンさせたくなる。
ミーティングもあるし、つきあひもある。
酒の飲みすぎで何もできないといふのもあるが(苦)。
年をとってきて処理能力が落ちてきてゐるのに、仕事の量は増えるいっぽうだ。
これからは仕事を人にふって、業務量を減らそうと思ってゐる。
移行がうまくいってほしい。
こんなんじゃ、覚醒もあったものではない。
逆に覚醒してゐたら、うまくやっていたのかもしれない(笑)。

 

けふの音楽。
ショスタコーヴィッチの「2つのバイオリンとピアノのための5つの小品」をチェロとコントバスで弾いたもの

もう1つ。同じ曲の別の演奏

地に堕ちたアメリカ?

アメリカのトランプ大統領が、戦争状態でもないのに勝手に他国の人を殺すといふのはだうなんだらう?
ただの殺人犯にしか見えない。

アメリカは今や高度な科学兵器でピンポイントで人を殺したり、建物を破壊したりできる。
他の国はたまったものではない。

アメリカは今までも、イラクのフセイン元大統領もリビアのカダフィ元大佐も殺してきた。
それでいながらアフリカの平和にはあまり貢献しなかったし、残虐なイスラム国にもゆるくしてきた。

数十年前、『明かされた秘密』でアメリカを理想の国になっていく(あるひは建国の理想が高かった)とサンジェルマンは言っていたが、今のアメリカは地に堕ちてゐるやうに思ふ。

アメリカ帝国だな。強力な兵力でやりたい放題。

 

この数十年、スピリチュアルで世界をリードしてきたアメリカだが、今現在はそんなにパッとしてゐないやうに感じる。
(かといって、いろいろな方が言はれるやうなこれから日本が世界のスピリチュアル・リーダーになる、とは僕は思ってゐない。日本は特殊だと思ふ。普遍性に欠けてゐる。独善性?)

 

けふの音楽、Legacy Of The Scottish Fiddle

オリンピックといふ戦ひ、スポーツといふ戦ひ

明けましておめでとうございます。

テレビとか見てゐると、今年は日本でオリンピックがあるのもあるが、オリンピックとかスポーツとかがよいもののやうに見せてゐる。
それらは端的にいへば戦ひである。相手を負かし自分(たち)が勝つ。または相手が勝ち自分(たち)が負ける。
それのどこが面白いのだらう。
人に熱狂を利用してゐるだけだ。グルジェフは、「無意味な熱情」と言ってゐた。性センターの誤用だと。
(スポーツと踊りといふ芸術は異なる。同じ動きを伴うものではあるが勝ち負けと、それ自体の動きの美しさを表現するものでは基準が異なる)

戦ひといふことでは戦争と同じである。
平和を目指そうとしてオリンピックといふ戦ひをしてゐる。全然平和でない。

戦ひをしてゐるうちは平和なんてこないのだらうな。

あるひは、この二元性の世界は戦ひが必然的につきまとふものであり、戦ひがなくなったら二元性の世界もなくなるのだらうな。
非二元の世界では戦ひはない。

開運

みんな開運を願ってゐる。
開運本も結構出てゐる。
開運って何なのだらう?

まう自分は開運は諦めてゐる。

開運したところで何なのだらう。
何かの力(霊的な)で開運することもあるかもしれない。
それも夢物語。
若い人には開運はいいかもしれない。
が、年を重ねるとただ運の流れに任せる(任運)になるのかもしれない。

 

3、4年、生き続けた榊が遂になくなった。残念。
2、3年、神棚で水だけで生きてゐて、根っこが出、新芽も出てきたので鉢に植えたのだが、そこからがあまり思はしくなかった。光の具合か、土が合わなかったか、温度か。
枯れた枝を引き抜いたら、根っこが結構伸びてゐた。それを見たら余計悲しくなった。

別の榊で、その榊の後に根っこが出てきた榊の枝があったが、それも鉢植えに植えたら、その榊のほうが先に枯れてしまった。鉢で育てるのは難しいのかな。

今、数ヶ月枯れてゐない榊の枝があるが、まだ根っこが出てゐない。しばらく水だけで状況を見守ろう。

 

けふの音楽
どこかで聴いたことがある曲、STELLA SPLENDENS
同じ曲の別のもの
この曲も客観芸術か・・・

ミスが多過ぎる

この1ヶ月(それよりも前から)、ミスが多過ぎる(苦)。
自分もさうだが、スタッフのミスも多過ぎ。
だうしてしまったのか。
脳の働きが低下し過ぎてゐる。
考へることができないのか。
脳の栄養が足りないのか。
老化か。
あるひは、ミスを起こすエネルギーが地球に降り注いでゐるのか(笑)。
うちだけでなく、他社もミスが多いならその可能性もある。
他の人たちもミスだらけならその可能性もある。

まうだうしやうもないほどだ。嗚呼。苦。

けふの1曲
プーランクのオルガン協奏曲

以前、神武夏子さんの『聖なるものへの賛歌』のCDを出させていただいたが、
そのきっかけは、神武さんの以前のCDに収められていたプーランクの「パヴァーヌ」を気に入ったためだった。『聖なるものへの賛歌』の2曲めにも収めさせていただいた。
ここでは別の人の演奏のプーランクの「パヴァーヌ」Poulenc:Pavane
もうひとり

愛の光

「愛の光」なんて書くと変な感じもする(笑)。いかにもニューエイジっぽい(笑)。
軽くてフワフワ系。

しかし、ここで書かうと思ってゐるのは軽い「愛の光」ではない。
キリスト教やクリスマスが今でも続いてゐるのは、そこに「愛の光」があるからではないか。
イエスが示した「愛」が光となって、人々の心を打つ。打ち続ける。

そして、覚醒とは愛の光なのかもしれない。
愛の光を見ること。

朝の自分と夜の自分は違ふ

夜、仕事やその他で神経を使ひ、一杯飲もうかと思って、結果として、たくさんあびるほど飲み、そのついでに暴食もしてしまふ。
そして、朝起きると後悔する。あんなに飲まなければよかった、食べなければよかった、と。
頭は二日酔い。胃腸は調子が悪い。
そして、暴飲暴食はやめようと思ふ。
しかし、夜になるとまた同じことの繰り返し。
朝の自分と夜の自分は違ふ。

グルジェフは「複数の自己」があると言ってゐる。
その局面局面でそれぞれの自己が出てくる。

そして、「為す」ことができない。ただ機会的に「起こる」だけ。
「人間は機械だ」とグルジェフは言ったが、そのとおりだ。

暴飲暴食は改善できない。(腹は出てくるし、体調はよくないし)
今も飲んで書いてゐる。嗚呼。

自分は何も為せない。機械として生きてゐるだけ。

「けふの1曲」を楽しみにしてゐると何人から聞いた。
ありがたい。
けふは載せられないけれど、また載せたい曲が出たときに載せたいと思ひます。

音にしても曲にしても不思議です。
今まで音についてもいろいろ探求してきた。
ヴァイオリンにしてもスピーカーにしても(アンプやケーブルにしても)、それぞれ個性があり違ふ音を奏でる。
違ふ音を奏でながらも、深みがあったり芯〈真)を貫いたり、いろいろ試しながら究極的な響きを追い求めてきた(笑)。(浪費もしてきた(苦))
厳しすぎず、癒しの音に落ち着いたり。
音は不思議。
人をとりこにする。

表情で覚醒してゐないかがわかる

よく覚者は、この人は悟ってゐて、この人は悟ってゐないといふことがわかるといふ。

これはだういふことなのか。

端的にいへば、もの想ひにふけってゐる人は覚醒してゐない(悟ってゐない)。

道を歩いてゐる人は、たいがいもの想ひにふけってゐる。
駅のホームで待つ人も、携帯の世界にふけってゐる。覚醒してゐない。
(なかには覚醒しながら携帯を見てゐる人もゐるかもしれないが、表情をみれば
ふけってゐるかふけってゐないかがわかる)

想ひにふけっている人は、表情や目の感じでわかる。

覚醒してゐる人は、まれだらうから、すれ違ふほとんどの人は眠ってゐる(想ひに自己同一化してゐる)。

みんな善意で行動して他を非難する。

多くの場合、自分が正しいと思って他の行動を正そうとする。正されたほうの側は、それとは別の自分の正しさがあり、正したほうの間違いを指摘する。
相対性の世界。みぞが埋まらない。あるひは相対性を理解して対するか。
超越次元が必要だ(笑)。