この世から離れる

覚醒とは、この世から離れること。

想いやこの世の事物に対しての自己同一化をやめること。

この世を客観的に見ること。
醒めて見ること。

牢獄から離れること。

醒めた人間として生きること。

この世は単なる意識の世界。

 

けふの1曲、ベートーベンのピアノソナタ19番(ギレリス演奏)

ベートーベンのピアノソナタは後期のものは深淵に達する見事な作品があるが、この19番は後期ではないが隠れた名品かな。

今年はベートーベン生誕250年といふ。
コロナの影響でいろいろな演奏会が中止になったと聞く。

陰謀論はこの世のスクリーンに自己同一化してゐる

スピ系の中の陰謀論の本がかなり売れてゐるといふ。

陰謀論の本は、この世のことにどっぷりつかってゐるやうに見える。
この世に自己同一化して、自分(自己)が忘れられてゐる。
つまり「眠ってゐる」。覚醒してゐない。

陰謀論に限らず、ほとんどのスピ本が、眠りの中で書かれてゐる。

老害

完了プロセス』があまり売れてない(苦)

若い編集者のタイトル案
『過去にとらわれて苦しんでいる人へ』
サブタイトル:トラウマから解放されるための「完了プロセス」
のはうがよかったのかな。

原書のタイトルと本の主題にとらわれてしまった(苦)。

もはや自分は老害でしかない。

千瞥、万瞥

いろいろ思ふやうにいかないと、自己想起(自己認識、I AM意識、一瞥)も起りやすい(笑)。

一瞥を何回も繰り返して、千瞥も万瞥もすれば「自己意識」から「客観意識」(悟り)へといけるのだらうか。

菩薩行

菩薩行といふと何か自力的なイメージがある。
自分が人を救ふ、みたいな。

ただ、救ふべき「自分」といふのはゐない。

みんなが悟るまでこの世界に残る、といふのは英雄的ではあるが、
「誰が」残るのか。誰も残らない。

自分がゐない以上、自分は無力だ。

では、誰が救ふのか。

自分を超えた力が、救ふのか。

神が救ふのか、キリストが救ふのか、阿弥陀如来が救ふのか。

救ひとは何なのか。
救はれるとは何なのか。

無力

無力、なんといふ響きか。
何も為すことができない。

すべては御心のままに(宇宙の流れのままに)。

ゆだねること(帰依・明け渡し)さへ無力だ。
ゆだねることさへできない。

 

無力であるがゆえにいらだつ。
ノートパソコンも勝手に変な動きをする(苦苦苦)。
なんなんだ。
こちらはそれに対して対処法もなく無力だ。

世の中への楔(くさび)

あるすぐれた人達は、隠れて世の中のためにいろいろな活動をしてゐる。
重要な任務を背負ってゐる。
大いに尊重し、尊敬する。

それに比べれば、自分なんかは公に活動し、なんの任務も背負ってゐない(笑)。
単に好き勝手をしてゐるにすぎない。
世の中に楔(くさび)なんか打ってゐない。

読者に何か役立つ情報を提供してゐるが、それは本やワークショップの先生がすぐれてゐるから。
提供元は、単なる凡人。いや不道徳なダメ人間。
世の中に楔(くさび)は打ちつつも、あへなく撃沈。

世の中の亀裂・・・
そこで見えてくるもの、意識の目覚め

スピリチュアル業界は虚飾に満ちてゐる

なにか今のスピリチュアル(業界and出版)は、虚飾に満ちてゐるやうに見える。
本当に虚飾かはわからない。
みんな一生懸命でスピリチュアルが好きで、さういふのをみんなに伝へたいと思ってゐる。
それは事実。

でも虚飾感を感じる。
本当のものでないやうに感じる。

ただの願望達成?

真のものが少ない?

そのやうな中で自分も生きてゐる(苦)。

 

けふの1曲、Ketil Bjørnstad – Prelude I