自分にとっては「風の時代」ではない

「風の時代」といふ言葉が流行ってゐるが(自分たちも流行らせてもゐるが(苦笑))、自分にとっては全然「風の時代」ではない。

わりと重苦しい。

「風の時代」に入った早々、緊急事態宣言が出され束縛され堅苦しい生活になった。
がっちがちで「風の時代」ではない。

人々の交流が出来にくいといふことは風が通ってゐないこと。

社会体制は「風の時代」でないが、心は「風の時代」か?
風が通るように軽い心の人はゐるのか?
少なくとも自分はさうではない。
仕事の重荷はどんどん増し、耄碌も増え、きつい。
「風の時代」ではなく「強風の時代」か(笑)。

人間は天体の運行に左右されるのか。

グルジェフ的には外部の影響に左右されるのは「不変の自己」ができていなくて、機械にすぎないといふ。
この世界を超越した意識で生きてゐるのであれば、「土の時代」だらうと「風の時代」だらうと関係ない。
「風の時代」もいずれ「水の時代」「火の時代」になり循環していくだけのこと。
何か良い時代になるといふことを意味してゐない。

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