「悟る必要がない」といふのは楽だ(笑)。

悟る「人」はゐない。つまり誰でも悟れない。悟る必要がないのだ。
われわれは手足と頭と感情であればよいだけ。
それを徹底するだけ。
あとは「何ものか」が運行する。
空(くう)でもいいし、広大さでもいいし、造物主でも、神でも名前は何でもいい。

心(マインド)は、心として機能していいし、それだけだ。

「目覚めるため(覚醒するため)の情報を提供する」といふ会社の理念も、それを伝へることなのか。

3 thoughts on “「悟る必要がない」といふのは楽だ(笑)。”

  1. おはようございます。今朝のブログは、漆黒の闇から抜け出たような感じがしました。何かしら心がすっとするような。この明確な意思を持っての出版物は、最後まで存在するんだろうなあと思いました。

  2. 最近、時々、「悟り人」と勝手に呼んでいる女性と電話で話していますが、人は、いらない?悟りもいらない?

    彼女は、OSHOが亡くなった後に、インドに行き、サニアシンになりました。

    20年前に、会っていたのですが、最近、古い住所録に固定電話の電話番号があり、時の経過をまるで感じることなく会話しています。

    アセンション を超えているかな?

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