水平の道と垂直の道

先日、Kan.さんにお会いしたときに、水平の道と垂直の道のお話をされてゐた。「道」と言ってゐたか「方向」と言ってゐたかうろおぼへだが。

以下は、Kan.さんの言葉ではなく、そこから自分なりに敷衍しての言。

この世界のすべてのものは(あの世、神々も含め)、すべて水平の道だ。
引き寄せや願望実現系も、すべて水平の道。
楽しみも、すべて水平の道。

では、垂直の道とは何か。
イエスが神を思って(思ふといふ言葉は適切ではない)、祈りの中で(祈りといふ言葉も適切ではない)
行動しているさまかな。
あるひは、ハムレットが、常に何ものかを意識し、「生きるべきか、死ぬべきか」と煩悶しているさまか。
垂直の道とは、聖なるものを意識した道だ。
何かに支えられてゐるのか、とりつかれてゐるのか(憑依ではない、笑)、ダイハードな道。

さういへば、福田恆存もそんなことを言っていたっけ(うろおぼへ)。

グルジェフの〈不死の私〉も、垂直の道に人が向かうときに生じていくのかもしれない。
水平の道では、外部の影響を受けて、行きあたりばったりの〈私〉しか生じない。