法華経

次のスタピの特集で、宮澤賢治の特集をしやうと思って、いろいろ調べてゐると、賢治は法華経信者だったらしい。

それで法華経とはどんなお経なのかをあらためて調べてみたら、やはり(笑)、
無内容で、効能書きばかり書いてあるお経だった。

『法華経』というお経の中で、法華経を信じると効能、利益があると説いてゐるけれど、肝心のその法華経とは何かが書かれてゐない(大笑)。
荒唐無稽なことが書かれ、ブッダの弟子たちがおとしめられ替わりに(存在のよくわからない)菩薩や佛が出てきて、変な人たちを救っていく(笑)。
変な塔が出てきたり。
よくこんなのを、支那や日本の中世で信じられ尊重されてきたものだなぁと思ふ。
日本の天台宗は、法華経を根本に置き、鎌倉新佛教は、天台から発生し、日蓮宗はもろだが、禅の道元でさへ法華経を引用しながら著作してゐた。
江戸時代の禅僧の白隠も最初は法華経を軽んじてゐたが、中年になって感動したりしてゐる。
明治以降も、日蓮宗系の新興の団体や新興宗教がわんさか出てきた。
内容がないのに、よくまあ出てくるものだと関心する。

よほど扇情的なのだらう。

僕は佛教徒たりえない。

大乗非佛説はしかりだが、密教も超能力系だし、南伝佛教(上座部佛教)もなにか覚醒とは違ふやうだし。
覚醒(悟り)の本家的な佛教が、こんなのではだうしやうもないな。
ヒンズーのアドヴァイタや、イスラム教のスーフィ、キリスト教神秘主義のほうが、まだ純粋なところがあるか。佛教では禅の一部がちょっとだけ残ってゐるのか

純粋な覚醒系がいい。

葬式佛教も、もっとすっきりして今の時代にあったものになったらいい。
覚醒とは別に、霊相手の供養も必要だから。

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