自分は、われわれは、大切な何かを失ってゐる状態だ。
たとへば、国民唱歌で歌はれてゐる世界は今のわれわれにはない。
このYoutubeの韓国のユニットが歌ってゐるやうな世界
パソコン・携帯世代になって、自然とのつながりを失ってしまった。
本居宣長流に言へば「もののあはれ」を失った。
語彙の豊かさも失った。
自分は、われわれは、大切な何かを失ってゐる状態だ。
たとへば、国民唱歌で歌はれてゐる世界は今のわれわれにはない。
このYoutubeの韓国のユニットが歌ってゐるやうな世界
パソコン・携帯世代になって、自然とのつながりを失ってしまった。
本居宣長流に言へば「もののあはれ」を失った。
語彙の豊かさも失った。
一瞥(覚醒)は、愛の過程の自然現象かなと思ふ。
愛=無我となって相手に対するときに、どこかの過程で一瞥といふ現象が起るのかなと。
主客を超えた意識になり、神(超越者)を認識するようになる。
覚醒を求めるのと、愛を追求するのと、自己を極めるのと。
身魂磨きとは、愛の実践でもあるのだと思ふ。
けふの1曲
バッハのシャコンヌ 五嶋みどりさんの演奏で。
純粋な人には純粋に接したい。
自分は純粋ではないが。
純粋でない人には不純に接するのか(笑)。
臨機応変か。
その辺が自分のダメなところか。
純粋でないがゆえに。
けふの1曲
La Folia from the Renaissance through the Baroque Music
ちょっと南米の雰囲気をも持つルネッサンス期の音楽
心のわかちあひが、喜びのやうに感じられるが、でもそれがエゴや願望のわかちあひなら何の興味もない。
心をわかちあふって何をわかちあふのか、相手の純粋な心に対する共感なのか。
純粋な心とは何なのだらう?
何か神や愛に通じるものなのだらうか。
けふの1曲
ビーバーのパッサカリア(Biber Passacaglia)
いろいろな人が演奏してゐるが、今回はDmitry Sinkovskyの演奏で。
この世界は、幻想の世界なのか、それとも幻想とみなしてゐる世界なのだらうか。
救ひのない世界で救ひを探してゐるのか、救ひのある世界で救ひを探してゐるのか。
ハムレットの如く、To be or Not to be.