真我の認識が無条件の愛の生き方につながる

真我(神)を認識して生きることが、(無条件の)愛の生き方でもあると思ふ。
逆に、無条件の愛で生きようとするとき、真我(神)の認識が生じる。

禅とか、茶道その他の道も、思考を介さずにただ在ること、ただ在る生きたかを伝へるが、
ただ在るだけでは機械的な印象を受けるが、そこには真我認識、神とともに在る認識が伴ってゐると思ふ。
ただ在る生き方は、万物と一体であり、超越者(神)と共に在る生き方である。そこに愛がある。