崩壊

このところ、ダメになったり、うまくいかないこと、うまく進まないことの連続。
これでもかといふほどに。

前もさういふことがあったが、またそのサイクルか。
たびたびさういふことが起る。起らない期間のほうが少ないか・・・。

よいことが続けて起ることは一度もない。

ライトスピで「どんどんよくなる」「これでうまくいく」「簡単に成功する」みたいなキャッチやタイトルが多いが、彼らは本気でさう思ってゐるのだらうか。
そんなことを書いてゐる人達もうまくいってゐないと思ふ。さういふ人を見たことがない。
あるひは若者が一時的にうまくいっただけの話? 偽善か勘違ひ。

それはさておき、次から次へと崩壊していってゐるので、だいぶサッパリしてきたのかな(笑)。結果として。
あとは、自我と自己の崩壊を待つ形か・・・

気持ちはすぐれず、生きてゐる意味も意義も喜びも見出せないが、すでに8割がた、この世の住人ではないのでそれでいいのかな。あの世の住人でもないが(笑)。

ただ消え行くかたちか・・・、流れの中で。

人生とは何だったのかな。
アフガニスタンに生きて死んだ人も北朝鮮に生きて死んだ人も中共に生きて死んだ人も。

こんなふうに死んでいくのかな。

2 thoughts on “崩壊”

  1. 思う通りに行かないのが人生である。
    こう説いたのはブッダでしたっけ。
    うまく行かないのが当たり前で、うまく
    行ったときは大変に幸運だった、と思うことで、
    基準が変わり、より気楽に過ごせるのかなと思います。

    1. ありがとうございます。

      うまくいけば幸運なのでせうが、僕はほとんどうまくいかないので幸運もないです。

      やることなすことうまくいかないと意志が砕かれ、心理的にうれしくはないです。

      高校のとき、仏教(ブッダの教え)を習って、諦めの哲学だと思ひました。こんなので救はれたり幸せになったりはしないと。
      仏教徒はなぜ、こんなのに信心してゐるのかと。僕は全然救はれませんでした。
      苦集滅道。どこに救ひがあるのか。幸せがあるのか。

      「無常・苦・無我」の小乗仏教から「常楽我浄」の大乗仏教へといふ転換を知り、さういふものかと見方が少し変はりました。
      「空・唯識」という意識(悟り意識)で見ること、生きること。

      うまくいくいかないという現象界に基準を置かず、「空・唯識」に基準を置けばあまり気にしなくてもよい状態になるのでせう。

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