南無阿弥陀仏は、非二元への

南無阿弥陀仏は、アミダといふ悟った存在に帰依することだが、それは悟り(非二元の意識)に帰依(サレンダー)すること。
非二元に降参することが救ひなのだ。南無阿弥陀仏。

同じやうに、南無妙法蓮華経は、仏の教え(仏法)(非二元の教え)に帰依すること。
「教え」(経)といふとちょっと観念的で非二元的でないところもあるが、本質は、
非二元に帰依するところに意味してゐるのだらう。
日蓮の狂信的なところは嫌だが。

仏教は本来、非二元の教えである。

今の仏教はただの形式だが(苦)。

3 thoughts on “南無阿弥陀仏は、非二元への”

  1. 自分の見識の無さを露呈する事になりますが、私にとってはお題目としての存在であります。自分は浄土真宗なので南無阿弥陀仏であります。悟りに帰依する事、お恥ずかしい初めて知りました。形式だけだとしてもそこに救われる事も多い様な気がします。自分かなり小さい頃富山の薬売りのお兄ちゃんから仏様は結局自分の中におりゃっしゃるんよって聞いた事があるんです。その当時はナンノコッチャわけわかんなかったのですが今、ようやくわかる様になりました。失礼しました。

    1. コメント、ありがとうございます。
      帰依する心が大事ですね。
      自分を超えたものへの。

      1. 自分を超えたものへの帰依する心が大事なんですね。素晴らしいお言葉ありがとうございます。

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