朝の自分と夜の自分は違ふ

夜、仕事やその他で神経を使ひ、一杯飲もうかと思って、結果として、たくさんあびるほど飲み、そのついでに暴食もしてしまふ。
そして、朝起きると後悔する。あんなに飲まなければよかった、食べなければよかった、と。
頭は二日酔い。胃腸は調子が悪い。
そして、暴飲暴食はやめようと思ふ。
しかし、夜になるとまた同じことの繰り返し。
朝の自分と夜の自分は違ふ。

グルジェフは「複数の自己」があると言ってゐる。
その局面局面でそれぞれの自己が出てくる。

そして、「為す」ことができない。ただ機会的に「起こる」だけ。
「人間は機械だ」とグルジェフは言ったが、そのとおりだ。

暴飲暴食は改善できない。(腹は出てくるし、体調はよくないし)
今も飲んで書いてゐる。嗚呼。

自分は何も為せない。機械として生きてゐるだけ。

「けふの1曲」を楽しみにしてゐると何人から聞いた。
ありがたい。
けふは載せられないけれど、また載せたい曲が出たときに載せたいと思ひます。

音にしても曲にしても不思議です。
今まで音についてもいろいろ探求してきた。
ヴァイオリンにしてもスピーカーにしても(アンプやケーブルにしても)、それぞれ個性があり違ふ音を奏でる。
違ふ音を奏でながらも、深みがあったり芯〈真)を貫いたり、いろいろ試しながら究極的な響きを追い求めてきた(笑)。(浪費もしてきた(苦))
厳しすぎず、癒しの音に落ち着いたり。
音は不思議。
人をとりこにする。

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