自己と意識と

6月の新刊3冊とスタピの入稿が重なり、結構きついぜ。
それに増刷分の対応と。

ウエサクの満月の影響か、精神的にも安定しないぜ。

資金繰りもかなりキツいぜ(苦笑)。

女の性質についても書かうと思ったが、タイミング的に難しいのでいずれ。

自己と意識の相関は如何に。
小さいときに自己意識(自我)に目覚める。
それ以前に意識はあったやうな。
また自我が脱落(とつらく)しても意識はあるやうな。
どこまでも意識はあり続ける。
意識があるとき、自己もある。I AM(われ在り)

電車に乗ってゐて、乗客を見てゐると、大部分の人がスマホに没入してゐる。
その世界にはまってゐる。
異様といへば異様な状況だ。
その人たちの意識世界がスマホの中にある。
だが、スマホを見てゐる自己認識(自己意識)はない。

スマホの世界は、眠り(想ひ)の世界であり、覚醒してゐない。

路上で通り過ぎる人も眠ってゐる。想ひにふけってゐる。目覚めてゐない。

もし、ほとんどの人が目覚めてゐたら世界はだうなってゐるのだらうな。

みんなの意識が開かれてゐると、電車の中でも、路上でも、一体感の意識の中で過ごすことになるのか。

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