ナチュラルでもスピリチュアルでもない(笑)

先日、オイルマッサージをしながら霊的リーディングする人のセッションを受けた。
その人には会社名の「ナチュラルスピリット」ということを告げてゐなかったのだが、
セッション中、「ナチュラルでもスピリチュアルでもないな」と言はれた(爆)。

確かにさうだ。僕はナチュラルでもスピリチュアルでもない。
不自然な出鱈目な生き方をしてゐるし、スピリチュアルなことは何もしてゐない。
本はスピリチュアルな本を出しているが、出してゐる本人はスピリチュアルでない。
偽善者だ。

その霊的リーディングをする人からは呼吸法なり瞑想なりスピリチュアルな何かを一つでも実践したはうがいいとアドヴァイスをいただいた。

怒りを溜め、酒に走り、肝臓に負担がいってゐるので、このままだと肝硬変になると言はれた。
酒を控えるやうにと(笑)。
まさにそのとおりだ。それを言はれてから、ちょっと酒を控えるやうになった。
(控える日と暴飲する日とがあり極端だが)

怒りは、物事がうまくいかないところからくる。なんなんだよう。ちくしょう。といふ思いの連続。
待ちに待ち、やってほしいことをやってくれず、成果が出ず、言ひたい放題言はれ、耐へる日々。
怒りの解消法を学ばなくてならない(笑)。ものに当たるのではなくて。

霊的リーディングをする人は、ときに喧嘩もあってもいいと言はれてゐたが・・・

神は充満してゐる

「おぉ。神さまお助けください」
この言葉はマインド(心)の言葉で、今まで聞き入られたことはない(個人的に)。
言葉だけでは、神(根源・超越者)とつながらない。

「神さまお助けください」
いつも発してゐるが、それでだうなるわけでもない。
なぐさみにはなるのかもしれないが。
苦しみの連続なので、その言葉を発してしまふ。

「神さまお助けください」と言っても
助かってゐないの連続だが、でも助かってゐるのかな。

「神さまお助けください」といふ言葉よりも実際の感覚として
神とつながってゐる感覚があるほうが「救ひ」があり、それこそが「神の助け」だ。
すぐに叶う「神の助け」。心が救はれてゐる。

覚醒すると神が目の前に充満してゐる認識をもつ。
神の臨在(プレゼンス)をありありと感じる。
スーフィ達は、「神の照明体験」と言ってゐる。

「神の助け」とは具体的に何かを助けてくれるのではなく、
神の臨在を体験し、神の充満さの中にあることによって直接救ふ(救はれる)ことにある。
この現実世界がどちらに転ぼおうとそれに関わらず救ひがある。

五大元素と虹の身体

今日のチベット人の先生のドゥルクモさんの話では、虹の身体の「虹」とは五大元素(空=青、風=緑、火=赤、水=白、地=黄)の色を表してゐるといふ。
虹の身体とは、身体が五大元素まで還元されたといふことだ。この世界(五大元素の世界)を超越し、輪廻の世界から解脱したことになる。
人間は、貪・瞋(怒り)・癡(愚か)の三毒があることによって輪廻の世界を生きてゐると仏教ではいはれてゐるが、貪・瞋・癡(どん・しん・ち)は、五大元素の偏りによって生じるといふ。その貪・瞋・癡を取り除いてゆくのがアティ・ヨーガ(ゾクチェン)らしい。
如何に五大元素に解体してゆくのか、自由に操ることができるのか・・・
Kan.さんはその境地にゐるのだらうな。

ゾクチェンは、非二元の覚醒とも関係してゐるが、非二元の覚醒と五大元素への還元とどうつながってゆくのか。
サン・ジェルマンの『マジック・プレゼンス』では、「アイ・アム・プレゼンス(われ臨在す)」の認識がアセンション(虹の身体の獲得)の鍵であるといはれてゐる。
これらはだう結びつくのか?

経営ベタ

前にも何回も書いてゐるかもしれないけれど、やはり経営がヘタだ。
経営ベタだけれど、21年も続けてこれたのは、多くの人に助けてもらえてきたからだ。
感謝にたへない。
そして多くの人に迷惑を掛けてきた。今も掛けてゐる。申し訳ありません。

経営がヘタといふことは多くの人に迷惑を掛けること。嗚呼。

たくさんの経営書を読んできたけれど、一向に経営能力が身につかない。
経営書を読んでゐなくても、経営能力のある人はいくらでもゐる。

性格が弱いといふ点と時間に弱い(朝が特に弱い)といふ点が経営者には向いてゐない。
金銭感覚もない。

儲けたいと思ってゐるが、大義名分として出す本があったり、義理人情に流されて出してしまふ本があったりして、売れない本がたくさん出てしまい、利益管理ができてゐない。

出す本もしっかりした本に絞って出すようにしないといけないかな。
出版点数も減らして。
今のスピの出版界の過当競争から外れて。
今、新刊で出てゐる本のどのくらいの数が残っていくのだらう。
ほとんど残らないのかな(苦)。