偽善の国

11月23日は、勤労感謝の日といふことだが、何の祝日か不明だ。誰が誰に感謝するのか。勤労とは何か? なぜそんなことを祝ふのか。もとは神道の新嘗祭の日を戦後、占領政策で神道色や天皇色をなくそうとして名前を変へたものだが、ヘンテコな名前だ。不快な印象を受ける名前だ。なぜこんな名前の祝日を作ったのか。そこに偽善性を感じる。僕も偽善者だが、かういふ偽善はきらいだ。
敗戦後、日本は偽善の国になった。
文字も伝統を断ち切った文字になってしまった。敗戦前の文章が読めず、江戸時代も平安時代の文字も読めなくなった。文化が切られた。

敗戦前もいい国ではないかもしれないが。
山形有朋が、統帥権を独立させ、軍国主義の礎を築き、軍部の独走を招いた。
日露戦争以降、民度が下がったのも原因かもしれないが。
民権運動と文化と政治との揺れ動きのなかで戦争に突入し、負けてしまった。
その後は、日本文化の全否定。
(たかが1回負けただけで全否定しなくてもよさそうなのに)
今はその呪縛の延長線の中で生きてゐる。
(アメリカが仕掛けた呪縛か、左翼がそれに便乗してしかけたものか)
そして、その呪縛からの脱却として日本の精神性の見直しの動きもある。
その見直しも、なにか変な感じの動きもある。
本当の意味での見直しを望む。

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