世の中との乖離 2

世の中との乖離について書かうと思ったら、数日前に書いてゐた(苦)。

全然憶えてゐないといふのも、病氣の一つだ。

世の中には流れのやうなものがあって、スピリチュアルへの人々の関心についても流れがあって、それと自分の流れとが一致してゐない。

 

酒の飲みすぎで心身が狂ってしまったのか。

 

怒濤の流れに翻弄されてゐるやうな。

今の自分には「引き寄せの法則」は関心がない。引き寄せられたから、だうだといふのだらう。

(ちなみに「引き寄せの法則」といふ言葉を編み出した一人が僕ではある。知る限りでは、別々に同時期にあと二人別の出版社の人が、自分が「引き寄せの法則」という言葉を作った、というのを聞いたことがある。ニュートン、ライプニッツ、関孝和が同時期に別の場所で微分積分を発見したのと同じ原理かもしれない。「引き寄せの法則」という言葉を編み出すときに、「引き付け」「引力」「牽引」とかいろいろ当てはめてみたが、「引き寄せ」が一番ピンと来たから本のタイトルと本文の中の該当箇所に使った。エイブラハム・ヒックスの本でソフトバンクの『引き寄せの法則』と弊社の『引き寄せの法則のアメージング・パワー』は、発売日が1日違ひだった。さらに同時系(シンクロ系)では、弊社刊行のジャスムヒーンさんの『リヴィング・オン・ライト』と山田鷹夫さんの『不食』も発売時期がほとんど同じだった。)

「ワクワク」も感心がない。

いわゆるスピリチュアルっぽいものにも関心がない。

覚醒には関心がある。非二元の一時的な人気に左右されたくない。

(覚醒した人は変な性格だが、苦)

UFO、ET、多次元的なもの、宇宙の根本原理みたいなものにも興味はある。

興味や関心をもってゐるといふ主体は誰か?

結局、覚醒やETも単なる関心(エゴ・想ひだけの世界)で、根本的には流れ(タオ)の中ではだうでもよいのかもしれない。

タオの中に身を置くとき、世の中の流れが体を通り過ぎる。

 

 

One thought on “世の中との乖離 2”

  1. ウチの会社でイベント企画をする時、
    最近は、全体で開催するのか、狭い範囲(グループ)で開催するのか、が話される時があります。

    点在する何か。

    翻って、最近の
    皆んなを(全体を?)感じていたい私と
    目の前に現れるものを、とただひっしになる私と。

    何が本当なのか、今は見えなくて、正直、不安にかられる。
    それだって、ただ流れる、だけかもしれませんが。

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