天運、人運

久々のブログの更新(笑)。

12月は忙しすぎたのと、それもあってブログを書く心境でもなかったです。

ビオマガジン(『アネモネ』に出版社)さんは、去年はヒット作を2本か何本か出されて天運、人運があるのだなと思った。

ヴォイスさんは、あいかわらずバシャール系が人気のよう(笑)。バシャールでもってゐるやうにも見えるがこれも天運、人運なのかもしれない。バシャールがあるからほかのことも冒険ができるのだらう。

ヒカルランドさんは、大量の本を毎月送り出し、体力がある。キャッチコピーのセンセーショナルさでがんばってゐる。石井社長は仕事人間的なイメージの人。これだけのことができるので能力プラス天運、人運があるのだらう。

うちは、今年はどこまでできるかな。
ラインナップはたくさんあるけれど、どれがヒットするか・・・
突出した本を出していきたい。

明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

本年も引き続き「意識の目覚め」に役立つ情報を会社として発信していきたいと思います。

しっかりした内容の本、トピックとなる本、役立つワークショップや商品、情報を今年も出していきます。

自分も含め人々の意識が開いていきますように。

本年もよろしくお願いいたします。

エネルギーの枯渇

このところ、許容量オーバーの仕事量で、エネルギーが枯渇ぎみだった。

ジャスムヒーンさんのワークショップに出て、何かエネルギーが補充されたように感じた(笑)。

ジャスムヒーンさん自身、プラナで生きてゐるので、そのエネルギーのまわし方、使い方、および場の設定で、エネルギーが補充のできたのかもしれない。

仕事でエネルギーを出す一方では、エネルギーが枯渇していまふ。
エネルギーを補充しつつ、エネルギーを出していかないとバランスがとれない。
これからは、エネルギー補充も念頭におきながら仕事にエネルギーを使おう。

それにしてもキャパオーバーなので、状況を何とかしないといけない。
原稿の山、いろいろな課題の山で、処理しきれない。
あんまり仕事のない状態になりたい。
山間部にでも引っ込むか。

日本人の成熟度

久々の投稿(笑)

今月『今だからわかること』(ウエイン・ダイアー著)を刊行したが、反応はイマイチ?
今まで三笠書房さんで自己啓発系でスピリチュアル色を消して出していたが(渡部昇一さん、ブー)、近年、ダイヤモンド社さんがスピリチュアル込みで出してきていたが、もろ本格的な邦訳はこの本なのかな。

ウエイン・ダイアーさんのスピリチュアルな本質が丸出しの本。

人が成熟していくとはだういふことかがわかる。

自分自身、全然成熟してゐないが、日本人は成熟といふことに関して、どれだけ関心があるのかな。

人生の深まり。

これから、さういふ方面の本も出していく予定(笑)。

浅いスピリチュアルとは違ふ方向。

非二元と、成熟した深まりと。

浅いスピリチュアルも対応しないといけないけれど(笑)。

何でも遺産化する(苦)

世界遺産とか文化遺産とか○○遺産とか、最近、遺産化が流行ってゐる。
だういふ心境なのか?

過去の遺物にするつもりか。

ポンペイ等の過去の遺物であれば遺産でいいが、現在も生き続けてゐるものに遺産といふのは変な感じがする。

自然遺産なんて変過ぎ。自然は今も生きてゐる。なぜ遺産なのか(苦)。

遺産化すると何か固定されたものになる。
身動きが取れなくなる。

思念的なもの。
覚醒をさまたげる。

温養と結晶化

久しぶりの投稿(笑)。

連日、飲み過ぎで書く余裕がない(苦笑)。

頭も身体もフラフラ状態。

1日、200~300件くらいのメールのチェックと対応で神経を使ひ、それ以外の仕事もいろいろあり、プラスつき合いの飲み会、プラス、ストレスによるひとり家飲みもあり、全然原稿の確認が追いつかない。関係者にはご迷惑を掛けてゐる。ご迷惑だけでなく本もなかなか出せないでゐる。
新規の出版依頼の原稿は見る余裕が全然ない。
来年の後半まで出版スケジュールが埋まってゐる。(それでも追いつかないか・・・)

話が本題になかなかいかない(笑)。

一瞥からノーマインドまでの悟りの流れの中で、
温養と結晶化といふものがある。
結晶化するまで早い人は数ヶ月?から数十年掛かる。中には今生で結晶化しない人もゐると思ふ。
一瞥から覚的主体(グルジェフの「不死の私」)を確立(結晶化)するまで温養期間が要る。
かなり掛かると思ふ(個人的な所感では)。

覚的主体、不死の私、を育てることは何も知らないと紆余曲折するし、いろいろ調べたり模索してゐるうちに時間が過ぎてゆく。そして確立〈結晶化)しないままに死んでいくかもしれない。

人生で意識的に死んだほうが確立(結晶化)しやすいかもしれない。

悟りとは死ぬこと

悟りとは死ぬこと、といふと山本常朝の『葉隠』の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」を想い起こすが、ラマナ・マハルシは十代のときに、自分が死ぬといふことを見つめて真我に至った。

死を見つめることは、悟りにつながる。

死は肉体の死といふよりも自我の死だ。

自我が死んだときに残るもの。

死を通して、生死を超えたものを見出す。

無の地平