ゆるし?

酔ってゐてまともなことは書けないが、酔はないと書けないこともある(苦)。

『奇跡のコース』では、「ゆるし」は、この世を幻想だと見てとることだといふ。
相手がひどいことをしても、それは幻想であると見ることが「ゆるし」だと。
この世界自体が夢幻(ゆめまぼしろし)で、どんなひどいことが起っても本当ではない、と。
そのやうに見ることが「ゆるし」だと。

相手はどんな罪も犯してゐない、と。

すべては幻想であり、ゆるされてゐる、と。

非二元(覚醒)から見たら、この世は変転とする様相だ。

「ゆるし」は、感情センターに働きかける。
感情センターのわだかまりを解消する。
「ゆるし」は、高次感情センターのはたらきかもしれない。
高次感情センターは、無条件の愛の世界(領域)だと思ふが、そこに「ゆるし」といふ機能もあるのだと思ふ。

まう、なんでもかんでも「ゆるし」てしまふ。
それを認めるのでなく、まぼろし(本当は存在しない)として。

実在しないものは存在しない。実在するものは脅かされない。
そこに「神の安らぎ」がある。

実在しないものは「ゆるす」しかない。現象すべては実在しない。

第四の体

グルジェフは、自己想起した主体(覚醒した主体)にして<不死なる私>として「第四の体」のことを傳へてゐる。
肉体(動作センター)、感情体(感情センター)、思考体(思考センター)の三つの体を統括するものとして「第四の体」の存在を提起した。
通常の人間は、「第四の体」は持ってゐない。
単なる三つの体をもつ機械にすぎない。反応物体だ。この世界だけの対応機械。
第四の体(覚的主体)をもったときに、この世界の対応だけのあり方を超え、それに影響されない<不死の私>を持つことができる。

第四の体とは、非二元(ノンデュアリティ)に目覚めた意識のことである。
第四の体を作るためには、結晶化をしないと形作れない。
目覚めの意識(覚醒意識)が定着しないと形作れない。
結晶化には何年もかかる(何十年も)。

何年もかかるといふ点では、『奇跡のコース』のワークブックも365項目あり、
かなりの日数を要する。
『奇跡のコース』も第四の体を作るためのワークなのかもしれない。
生老病死の無常なる非実在の幻想世界から不死なる実在の世界(神)の意識に至るための。

世界は幻想? 神の安らぎ?

『奇跡のコース』は世界は幻想だといふ。実在しないもの。神のみが実在し、そこに「神の安らぎ」があるといふ。

世界は幻想なのか? 現象ではあるが。幻も現象ではある。幻でないものは現象化するのか?
現象は変転とする。不変ではない。
不変のものは、現象化してゐない。

「神の安らぎ」って、神が安らぐのか? 自分が安らぐのか?
神を認識することによって、自己が安らぐ?
ヤスパースも「すべてが滅んでも神が在れば十分である」といった。
さういふ認識を持つと安らぎが訪れる?

先日、スピリチュアル・カウンセラーに、僕は不安を抱えてゐると言はれた(笑)。
いつも不安だらけだ。
「神の安らぎ」もない。
「神よ、ありがとうございます」と言ひ続ける不安感情の世界。
そんな世界では、安らぎはない。

この世(現象)を超えた超越者に対する祈りや明け渡しが必要なのかもしれない。
「かもしれない」と言ってゐるうちは本物ではない。

そぎ落とし?

今日、弊社で本を出してゐる先生とお話する機会があって、自分の今の状況は、自分に依存しやうとする人たちにエネルギーが奪われてゐる状態にあると言はれた。弊社を頼って本を出すなり、ワークショップだったり、依存する人たちにエネルギーを奪われてゐると。
そのやうな依存性の人たちにはエネルギーを供給しないはうがいいと言はれた。

そのことを見極める目を養わないといけないと。
その目は、他人から言はれた価値判断ではなく、それらの覆いを取り去った内なる真実の目による見極めの目だと。

僕は人を見る目がなく、みんないい人に見えてしまふ。
そこを変へて、相手の真実を見ていかないといけないと言はれた。
相手の望んでゐることの真実を。
相手が僕を利用してその人の願望(エゴ?)を実現しようとしてゐるのか、純粋に聖なることを目指してゐるのか。

まう過負荷状態なので、今は出版依頼も受けられない状況だ。

ちょっと上記とは違ふが、まう自分のエゴ?でやっていくしかない。
他の人に縛られたくない。
今まで影響を受け過ぎてきた。

***

その先生曰く、世界的にニューエイジショップがこの数年でつぶれてきてゐるといふ。
日本でも同じ状況だ。
今までのニューエイジの波は終ったとのことだ。

その先生曰く、これからは霊的なこと(形而上的なこと)だけではなく、個々人の霊的成長、変革を促すやうのものが必要になってくるらしい。

神経の擦り切れ、笑ひ

まう、こまごました対応の連続で、神経が擦り減ってしまふ。
人々の要望や出来具合を調整し、作品・製品・商品として出せる形までもっていく。
微調整の連続。
それにお金の交渉。うんざり。
この仕事はまうやらないだの、自分は仕事をしてゐるだの。
そんなことが山ほど積まれてゐて、きりがない。
やればやるほど仕事が増える。
消耗、消耗。

神経が擦り切れる。
精神の平衡が・・・

さういふのも、この現世の中での出来事。
幻想の現世。

笑ひとは、この幻想の現世を笑ひ飛ばすこと。幻想の世界をまじめにとらえないこと。
ある程度、この世界から飛翔してゐること。
非二元から見たら幻のやうな二元の世界。
笑ふしかない。

笑ひは、非二元的だ。

墓穴に入らずんば孤児を得ず(笑)

五劫の擦り切れ

運氣不安定または人々の意識、気持ちが浮遊

最近(いつもなのかもしれないが)、運氣不安定。
仕事関係で、何人もの人から依頼していた仕事を途中でやらないと言はれたり、著者関係で出す出さない、講演をやるやらないとなったり、何か全然安定しない。それほど変なのか。だうしたといふのか。
何か人々の心を安定させないものが働いてゐるのかもしれない。
世の中おかしくなってゐる。
人々の精神がおかしくなってゐる。
だうなってしまったのだらう、この世の中。
自分も変になってゐるのか?

波動が変になってゐる?

三次元が三次元でなくなってゐる? 感情次元の世の中?

情熱と諦め

昨日、白鳥哲監督の『リーディング』を見た。上映後、白鳥監督と吉岡学さんの対談があったが、白鳥監督はとても情熱的で世の中を変えてゆかうという熱意に溢れていた。
今日は、地球村の髙木善之さんの合同講演会があり、髙木さんが情熱的に話されてゐた。地球を変へてゆくために。

ひるがえって、自分はだうなのか。
全然情熱的ではない。
世の中を変へてやろうといふ意識はなくなってゐる。

かつては、アセンションの情報を世に伝へよう、最新のヒーリングを伝へよう、悟り・覚醒・非二元を伝へようようと思ってがんばってきたが、今は、だいたい伝え終わった感がある。
やることはやったから、情熱が消えたのか。
やることはやったが、思ふように伝はらなかったことからくる情熱の醒めか。
非二元を学んで、世の中を変へてゆかうといふこと自体の無意味さを感じてゐるからか。
仕事上のやりとりに疲れ果ててしまったからか。

オーディオ

少し前まではオーディオにはまってゐた(苦笑)。

スピーカーやアンプやケーブルによって音が変わり、その微妙な音の変化に悦になったり組み合わせを試行錯誤したりしてゐた。

うまくツボにはまると音楽が中心をとらえ、感動するものになる。

オーディオ・マニアといふのはかういうものかと思ふ(笑)。

オーディオにしても、ヴァイオリンにしても、微妙な音の違ひを追求してしまふ。
よりよい音を求めて。

音といふのは、魔性のものなのか。

何か根本のところにも関わってゐるやうな氣がする。

魔性のヴァイオリン

全然スピとは関係のない話題です(苦笑)。

去年の秋に六本木の森美術館で「ストラディバリウス展」があって、それを見に行ってから、ヴァイオリンにすっかりはまってしまった(苦笑)。

YoputubeやヤフオクやeBay等でヴァイオリンを見てゐる、聴いてゐる(苦)。

ストラディバリウスよりもガァルネリ・デルジェスのほうが渋くていい感じがする。
ガァダニーニもいい。
19世紀のジョゼッペ・ロッカや、フランスのコラン・メザン、シルベスター等もいい。
ストラディバリウスの同時期のイタリアの各地方の名工もいい。
現代では、ポーランドのTopaも断然いい。
まさに魔性の楽器だ。

音はヴァイオリンそれぞれで違ひ、個性的でもあり、魅了されてしまふ。
ストラディバリウスとガァルネリ・デルジェスは断トツで優れた音を出すが、
高額過ぎて、手も出ない。(ストラディバリウスとガァルネリ・デルジェスは名演奏家のCDで楽しむ)
その次も、さらにその次の(その次も)レベルも手がでない。

本物ではないかもしれないが、ヤフオクやeBayで安いものを物色してYoutubeで楽しむしかない(笑)。
あるひはYoutubeでいい音のするものをヤフオクやeBayで(偽物?を)物色するしかない(苦)。

欲のとりこ。
音のとりこ。
魔性にやられてゐる。

二つの潮流?

二つの潮流と言っても、一つが大きく、もう一つは小さい?

大きいほうは、ワクワク系(笑)
引き寄せ系だったり、自己実現系(その自己って何?)だったり、願望実現系だったり。
人の欲をくすぐる系。
自己満足を満たさうとするノウハウ本やセミナー。
本がたくさん売れ、セミナーにもたくさん人が来る。ブログも人気。

もう一つは覚醒:非二元系、諦め、達観系
自己(エゴ)について、ある程度見通し、自己を超えたものの中で生きてゆく。
あんまりワクワクしない(笑)。(ぷあぷあでもないけれど)
欲はあるけれど、欲でないものもあると自覚した生き方。

宇宙系はどっちだ(笑)

後者のほうに比重をおいて出版やワークショップをしてきているが、人数の比率からいったら
全然、前者にかなはない(苦)。
これから比率が逆転することがあるのかな。