負の連鎖、打率3割

ほとんどの場合、うまくいかないことのほうが多い。負(マイナス)が続いてゐるやうに感じる。
マイナスがマイナスを呼んでゐるやうにも感じる。

野球の選手は打率3割だと優秀といはれる。7割はヒットが打てないのだ。7割のマイナス。
7割マイナスだと、マイナスの連続、負の連鎖のやうに感じるやうに思ふ。
優秀でなければ8割、9割もマイナスだ。

人生もそんなものかもしれない。8割、9割マイナス(うまくいかない)なのが通常なのだ。
プロの世界にアマが挑んだら、9割9分成功しない。
人生もどこに挑戦するかによって、負の連鎖の率は多少変はってくる。
でも、どちらにしてもほとんどが負の連鎖。
さういふものだと思って、失敗にめげないことだ(笑)。

生命の進化の歴史もさうなのかもしれない。失敗の連続の中でかなり低いパーセントの成功が進化の道を作ってきたのかもしれない。

どうしたらいいか? どう生きればいいのか?

「どうしたらいいか? どう生きればいいのか?」といつも思ってしまふが、これは頭(思考)の働きだ。
思考以前に、既に生きてゐるのであり、生それ自身が生き方を規定してゐる。「存在」があるべくしてあってゐる。「道(タオ)」がタオとしてある。頭は後付けだ。
「どう生きればいいか」といふのは妄想だ。
「死がこわい」といふのも頭の世界だ。
死も生それ自身としての流れでしかない。

生それ自身とは、「意識」でもあるのか、この世界を超えた。
すべてを包摂する意識が生を動かし、存在を動かしてゐる。

文化がない

30年か40年前くらいに、福田恆存が「日本の文化は下の下」だと言ってゐた。

今はさらに文化がない状態だと思ふ。
「下の下」のさらに「下の下」の状態だと思ふ。

日本の文化も地に堕ちた。

だうにかして文化を復興または興隆することはできないか。
今のままだと浅薄なだけだ。

才能のある人や天才の出現が必要か。

道(タオ)に生きる?

先週、だいぶくたびれて、かなり悲鳴を上げてゐたが、今週は締切も打ち合わせも飲み会もあまりなく、割とのんびり?と過ごした。
(のんびりといふか、それなりに対応したが、そのときは疲れ果てたが、全体としては休養をとれたのかな)

キリキリと対応マシンになって、いろいろな付き合いで飲み会に参加し、精神も肉体も参ってしまふのはかなりキツイのでこれからはやめていかうと思ふ。

今、着々とセミリアタイアに向けて準備中(笑)。

対応にばかり追はれてゐるとエネルギーを消耗してしまって補充が追ひつかない。
バランスを欠く。

エネルギーを出すのと入れるのをバランスをとってやらないともたない。

「人々の意識の目覚めのために」といふ理念のために奮闘しても、エネルギーを出すだけで、充電しないとバランスがとれない。

今は充電のとき。

思考を離れた状態で、肉体的にも精神的にも道(タオ)に任せたい。

セミリタイア

まう仕事の量が多すぎて、処理しきれず(処理しても処理しても追ひつかず、追はれっぱなしで)、精神的にかなり参ってしまった。
精神的に疲労困憊。まう疲れ過ぎてしまった。機能停止状態。
精神が病んでしまう。まう病んでゐるか・・・。

セミリタイアするしかない。
仕事の大部分をスタッフに任せて。

一時期、本田健さんとかセミリタイアとか言って流行ったが、お金を持ってゐる人たちと違って、自分の場合は精神が悲鳴を上げてゐる故のセミリタイアだ。

けふの1曲。
前回に続いてショスタコーヴィッチ。
Piano Trio No.2 / Kremer Maisky Argerich (1998 Movie Live)

精神が機能しきれてゐない様をよく表してゐる(笑)。

感謝は迷惑?

神社で神様に感謝するのは、神様に迷惑を掛けてゐるのかな。

頼みごとをされるのは迷惑だろうけれど、いちいち感謝されるのもめんどくさく思はれるかもしれない。
自分ならめんどくさいと思ふ。
何かして「ありがとう」と言はれる分にはいいが、なんでもかんでも「ありがとうございます」「感謝しています」と言はれるとうんざりする。

神様は神様の働きがあり、それを邪魔しないことがいいのかな。
神社に行っても(神棚でも)、ただその働きに感応するだけでいいように思ふ。
ご神氣に感応する。
さうすれば、自分の気も清められ、心も清められ、気持ちのいいすがすがしい状態になる。
それが神様も喜ばれるのではないか。
祈りといふのも、同じなのかな。神様に氣を合わせる。
イエスの言はれた第一の律法「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」にも通じるのか。

 

それにしても仕事量が多過ぎる。処理しきれない。どうにかしたい。
このままだとパンクしてしまふ。変になってしまふ。
仕事の多さに机をたたきたくなる。マウスをバンバンさせたくなる。
ミーティングもあるし、つきあひもある。
酒の飲みすぎで何もできないといふのもあるが(苦)。
年をとってきて処理能力が落ちてきてゐるのに、仕事の量は増えるいっぽうだ。
これからは仕事を人にふって、業務量を減らそうと思ってゐる。
移行がうまくいってほしい。
こんなんじゃ、覚醒もあったものではない。
逆に覚醒してゐたら、うまくやっていたのかもしれない(笑)。

 

けふの音楽。
ショスタコーヴィッチの「2つのバイオリンとピアノのための5つの小品」をチェロとコントバスで弾いたもの

もう1つ。同じ曲の別の演奏

地に堕ちたアメリカ?

アメリカのトランプ大統領が、戦争状態でもないのに勝手に他国の人を殺すといふのはだうなんだらう?
ただの殺人犯にしか見えない。

アメリカは今や高度な科学兵器でピンポイントで人を殺したり、建物を破壊したりできる。
他の国はたまったものではない。

アメリカは今までも、イラクのフセイン元大統領もリビアのカダフィ元大佐も殺してきた。
それでいながらアフリカの平和にはあまり貢献しなかったし、残虐なイスラム国にもゆるくしてきた。

数十年前、『明かされた秘密』でアメリカを理想の国になっていく(あるひは建国の理想が高かった)とサンジェルマンは言っていたが、今のアメリカは地に堕ちてゐるやうに思ふ。

アメリカ帝国だな。強力な兵力でやりたい放題。

 

この数十年、スピリチュアルで世界をリードしてきたアメリカだが、今現在はそんなにパッとしてゐないやうに感じる。
(かといって、いろいろな方が言はれるやうなこれから日本が世界のスピリチュアル・リーダーになる、とは僕は思ってゐない。日本は特殊だと思ふ。普遍性に欠けてゐる。独善性?)

 

けふの音楽、Legacy Of The Scottish Fiddle

オリンピックといふ戦ひ、スポーツといふ戦ひ

明けましておめでとうございます。

テレビとか見てゐると、今年は日本でオリンピックがあるのもあるが、オリンピックとかスポーツとかがよいもののやうに見せてゐる。
それらは端的にいへば戦ひである。相手を負かし自分(たち)が勝つ。または相手が勝ち自分(たち)が負ける。
それのどこが面白いのだらう。
人に熱狂を利用してゐるだけだ。グルジェフは、「無意味な熱情」と言ってゐた。性センターの誤用だと。
(スポーツと踊りといふ芸術は異なる。同じ動きを伴うものではあるが勝ち負けと、それ自体の動きの美しさを表現するものでは基準が異なる)

戦ひといふことでは戦争と同じである。
平和を目指そうとしてオリンピックといふ戦ひをしてゐる。全然平和でない。

戦ひをしてゐるうちは平和なんてこないのだらうな。

あるひは、この二元性の世界は戦ひが必然的につきまとふものであり、戦ひがなくなったら二元性の世界もなくなるのだらうな。
非二元の世界では戦ひはない。

開運

みんな開運を願ってゐる。
開運本も結構出てゐる。
開運って何なのだらう?

まう自分は開運は諦めてゐる。

開運したところで何なのだらう。
何かの力(霊的な)で開運することもあるかもしれない。
それも夢物語。
若い人には開運はいいかもしれない。
が、年を重ねるとただ運の流れに任せる(任運)になるのかもしれない。

 

3、4年、生き続けた榊が遂になくなった。残念。
2、3年、神棚で水だけで生きてゐて、根っこが出、新芽も出てきたので鉢に植えたのだが、そこからがあまり思はしくなかった。光の具合か、土が合わなかったか、温度か。
枯れた枝を引き抜いたら、根っこが結構伸びてゐた。それを見たら余計悲しくなった。

別の榊で、その榊の後に根っこが出てきた榊の枝があったが、それも鉢植えに植えたら、その榊のほうが先に枯れてしまった。鉢で育てるのは難しいのかな。

今、数ヶ月枯れてゐない榊の枝があるが、まだ根っこが出てゐない。しばらく水だけで状況を見守ろう。

 

けふの音楽
どこかで聴いたことがある曲、STELLA SPLENDENS
同じ曲の別のもの
この曲も客観芸術か・・・

ミスが多過ぎる

この1ヶ月(それよりも前から)、ミスが多過ぎる(苦)。
自分もさうだが、スタッフのミスも多過ぎ。
だうしてしまったのか。
脳の働きが低下し過ぎてゐる。
考へることができないのか。
脳の栄養が足りないのか。
老化か。
あるひは、ミスを起こすエネルギーが地球に降り注いでゐるのか(笑)。
うちだけでなく、他社もミスが多いならその可能性もある。
他の人たちもミスだらけならその可能性もある。

まうだうしやうもないほどだ。嗚呼。苦。

けふの1曲
プーランクのオルガン協奏曲

以前、神武夏子さんの『聖なるものへの賛歌』のCDを出させていただいたが、
そのきっかけは、神武さんの以前のCDに収められていたプーランクの「パヴァーヌ」を気に入ったためだった。『聖なるものへの賛歌』の2曲めにも収めさせていただいた。
ここでは別の人の演奏のプーランクの「パヴァーヌ」Poulenc:Pavane
もうひとり