神の愛と現実

スピリチュアル系の人たちはよく、神の愛とか光とか、美しめの言葉を言い、信じてゐて、僕にもそれらを信じ全託したほうがいい、今厳しいのはさういふものを信じてゐないからだ、みたいなことを言はれる。

さうなのかもしれないが、自分には全然わからない。
何も信じてゐないからかもしれない。可能性しか。

神の愛があっても、支払いはしないといけない。神の愛があれば支払いをしなくていいのであれば、すごい楽だ(笑)。

太宰治みたいに、呑んだくれて借金にまみれて自殺するならそれも生き方かもしれない。(一昨日は桜桃忌)

性格は同じく破綻してゐる自分ではあるが、支払いはしなくてはならない。
その金が厳しい。その現実を前にして精神的なことはわからない。
物理的に資金調達しなくてはならない。
「意識の目覚めに役立つ情報を提供する」という理念も資金があってこそ成り立つ。
お金がなければ人の役に立てない。
人の役に立ってゐないから入金がない。

そんな日々を暮らしてゐると絶望を通り越して不感症になる(苦)。
支払ひマシーン。