脱力と悟りの関係

筋肉が緊張したまま(力が入ったまま)なのは、何かの想ひ(思考)に浸ってゐるからだ。想ひが筋肉の緊張をもたらす。
ストレスも想ひからくる。

想ひに浸ることをやめると(想ひに対する自己同一化をやめると)、覚醒(一瞥)が起こる。
完全に想ひに浸ることをやめ、自我が抜け落ちると悟りが現れる。

悟ってゐる人は、想ひに浸っていないから筋肉の緊張がない。脱力状態だ。
悟ってゐるかゐないかを見分ける方法の一つは、顔や身体に緊張感があるかだうかだ。
顔がだらっとしてゐる人は白痴か悟った人(覚者)かだ(笑)。
緊張のある顔の人は、悟ってゐない。

黒住宗忠は、白痴のやうに見られるやうになって喜んだといふ。
それだけ本物になったといふことなのだらう。

良寛もさうだ。

一休さんではないが、一休み、一休み。