『奇跡のコース』の版元の内なる平和財団の創業者のジュディス・スカッチ・ウィットソンさんが他界された。
90歳とのこと。
10数年前にカルフォルニアのマリン・シティーでご主人とこちらの取材スタッフとでレストランで一緒に食事をし、ご自宅にも招かれた。
とてもいい人だった。素敵な人だった。
『奇跡のコース』を裏から支え、土台となり、世界に広められた。
すごい功労者。
英語の記事はこちら。
いつも誠と思ってとやってゐるが、実はエゴなのかもしれない(苦)。
自分の誠なんかアホらしい。
平面意識には深みがない(当たり前か、笑)。
理屈に深みはない。
理論にも深みはない。
それらは平面。
垂直ではない。
垂直に行くには、あるひは、垂直から降りてくるには、
非二元の意識になる必要があるやうに思ふ。
非二元の意識のない人には、垂直のことはわからないし、
深みもわからない。
『よひとやむみな』でいふと、理屈・理論は周辺意識で、
中心は、非二元の意識だ。
非二元の意識になってゐるとき、神にもつながるのだらう。
どこまでも深く、すべてを包むほどひろく、限りなき高み(崇高さ)をも内在する。
久々の投稿(笑)。
このところ、なかなか投稿できなかったな・・・
このところといふか、今、「魂磨き」のことが来てゐるのかな?
『よひとやむみな』もさうだし、『あの世とこの世のしくみ』もさうだし、『魂の実践』もさうだし、『霊視の人』の続編の取材でも魂磨き(魂のうちに神をまつる)が出てくるし。
意識の覚醒(悟り)と宇宙の仕組みを追求して、出版もしてきたが、その一環として「魂磨き」といふのが重要な要素(テーマ)なのかもしれない。
波動が落ちまくってゐる地球を正常化して行くのも「魂磨き」なのかもしれない。
人々がそれに気づいてほしい。
まず自分自身が先に実践していかなくてはならないが(嗚呼)。
なかなか実践できない・・・(苦)
9月から少し流れが変はったやうに感じる。
相変はらず破綻の流れは続いてゐるが、さうでもない流れも生じてゐるやうな。
この流れは個人的なものなのか、全体的なものなのか・・・
けふは、たまたま?「流れ」の話の本の企画が来てゐた(笑)。
人は流れに翻弄されるのか(苦笑)。
けふの音楽。
最近は、ヴァイオリンでもピアノでもなくギターの音楽を聴くことが多い。独特の音色に癒される。
その中のオススメのもの
CARLES TREPAT – Teatro Colón A Coruña 2014
ここがアフガニスタンだったら、自分の命もだうなってゐるかわからない。
スピリチュアルも今の日本やアメリカやヨーロッパのやうに自由に意見表明やワークショップもできない。
日本に普及してゐるスピリチュアルはアフガンの人達は知らないのだらうな。
あぁ。嗚呼。
アフガニスタンに限らず、エチオピアもミャンマーも中東もギニアも。
なんとも、まともに生きられない。
この社会に不適応に生きてゐる。
会社に不適応の人もゐるが(苦)、自分の場合は社会に不適応。もちろん会社にも不適応。
よくやってられるなと思ふ。
ありがたい身分だ(苦笑)。
なんなのだらう、人生は。
バーナデット・ロバーツの『自己とは何か?』の中で、人間が、無我、無自己と段階ごとに進むごとに、キリストが「聖なるもの」との橋渡しの役割を変えてゆく、と書かれてゐる。
覚醒の諸段階で、キリストが関わってくる。
今までは自分にとっては、歴史上のイエスが聖性を発揮したぐらいのイメージだったが、この本を読むと違った様相が見えてくる。かなり本質的な関わり。神と人との橋渡し。
覚醒の過程では、キリストと共に歩く形なのだらうな。
やうやくゲラのチェックが終り(かなり難解だった)、ちょっとグラグラ状態。自己の根底が揺さぶられる感覚。世界の構造が呆然と見えてくる。
究極の本の一つ。
行くところまで行った本。
あなたは、スピリチュアル人ですか? 出版人ですか?
と問われたら、基本はスピリチュアルで、スピリチュアルの真実を書籍を通して伝えていきたい、と答えるかもしれない。
自分には出版人らしさがない。出版人独特の雰囲気をもってゐない。
出版界から見たらドシロウトだ。それでよく20数年もやってこれたと思ふ。
質のいい本を提供していきたい。内容がよくて残る本を提供したい。意識を啓蒙していく本を作りたい、伝えたいという思ひだけできたけれど、できた本はシロウト本だ。
編集者は優秀だが、出版社がシロウト。編集者にも著者にもデザイナーにも申し訳ない。
ただのシロウトよがりがなにをやってきたのかな。
最近なのかいつからなのか、世の中の波動が変はってきたのかな。
みんなこらえしょうがなくなってきたやうな。
我(が)を簡単に通すようになってきたやうな。
世の中の波動が、人々の心理や感情を揺さぶってゐるやうに感じる(仮説)。
ものごとがうまく行かない原因の半分はこれのやうに思ふ(推測)。
『よひとやむみな』で言はれてゐるやうに、今の第二レベルから第一レベルに
落ちてゐるところなのかもしれない。