アメリカの大統領

トランプがアメリカの大統領に当選した。霊能者を含め大方の予想はヒラリー・クリントンだったが、霊視は当たらなかったか、時と共に未来は変化し、そのときの霊視が当たらなくなるのかもしれない。

弊社で以前出したルース・モントゴメリーの『来るべき世界』では、2000年代の前半に地軸が変わるシフトが起こり、そのときにウォークインの大統領が就任していて、混乱を最小限にしてくれるだろうと書かれてゐた。シフト後の混乱期に反キリストの魂をもつ人が権力を握るとも書かれてゐる。

ウォークインの大統領が誰で、反キリストが誰なのか。シフトはまだ起きてゐない。
シフト後、人々は霊性により目覚め、キリストが地球に現れ人々の意識を高め、
平和が地球を支配する千年間がくるといふ。

今の現実に戻って、
トランプは何をするかわからないところがあるといふ。
これから数年、地球は混乱するのだらうか。
日本はだうなるのだらうか。

プレゼンスと一瞥と悟り

一瞥と悟りの違ひは、小悟と大悟の違ひだ。一瞥は、一瞬か少しの間だけの悟りであり、大悟は永続的な悟り。エゴが抜け落ちて元に戻らない状態。一瞥には、まだエゴが残ってゐる。

かたや、覚醒・悟りの世界では、プレゼンス(臨在、現存)と呼ばれる意識状態がある。レナード・ジェイコブソンさんやルパート・スパイラさんが傳へてゐるものだ。

プレゼンスと一瞥はだう違ふのだらうか?

一瞥よりはプレゼンスのほうが、なるのが簡単だ。特に覚醒したマスターとともにゐれば、そしてマスターからの指摘によりプレゼンスを感得するのは容易だ。
「花とともに在る」「対象とともに在る」「相手と自分とを同時に認識して在る」
そこにはエゴはない。

一瞥は、ハンマーで打たれるやうな感じなのかな。
プレゼンスは、じんわりくる。きたとき、そこをとらへる。

悟りに至るコースとしては、
・プレゼンス → 大悟
・一瞥 → 大悟
・プレゼンス → 一瞥 → 大悟
・一瞥 → プレゼンス → 大悟
・ひたすら愛(無条件の無私の愛)の実行 → 大悟
・神を祈念し唱え続ける → 神への明け渡し → 大悟

プレゼンスの感覚をつかむのにもってこい(笑)のは、今度弊社から発売予定のレナード・ジェイコブソンさんのDVD『イエスの解放』だ。12月の発売予定。お楽しみに!

安心立命

僕はまだ安心立命ができてゐないが(苦)、少し考察したい。
覚醒(一瞥、トランスほか)と安心立命とは違ふ。
覚醒しても、安心を得られない。
では、だういふときに安心立命は得られるのか。
「諦めたとき」だ。
願望を諦めたとき、安心立命が得られる。
運に、物事に、明け渡したときに、安心立命は得られる。
「引き寄せの法則」云々をやってゐるうちは煩悶しか得られない。
本がたくさん売れてほしいと思ってゐるうちは、安心立命ができない(笑)。
安心立命ができたとき、覚醒は定着するのだと思ふ。

スワミ・ヴィシュワナンダ

最近来日されていたスワミ・ヴィシュワナンダさんは、サイババと同じような能力をもってゐる。『スターピープル』誌で前回取材させてもらったときは、指輪を物質化(テレポテーション?)してくれたものをいただいた。今回の取材時には、ビブーティを指から出してくれて、ライターや編集者や通訳、それに僕に渡してくれた。
スワミ・ヴィシュワナンダさんは、サイババにも会ったことがあると言はれてゐた。
物質化は通常はしないらしく必要なときにするとのことだ。取材だったからサービスしてくれたのかもしれない(笑)。
表立って物質化のことは言はないし、見せてゐない。

神(愛)、神(愛)に至る道のみが重要と説く。

神と神の名前は同じだと言はれ、神に至る道として誰でもできることとしてチャンティング(称名)がいいと言はれてゐた。

ヨガも愛のないヨガは無意味だ、と。

スワミ・ヴィシュワナンダさんの記事は、次々号の『スターピープル』(2月末発売号)に載る予定(先が長い、笑)。

是非、スワミ・ヴィシュワナンダさんの本『JUST LOVE ただ愛のみ』も読んでください!

お稲荷さん

会社が厳しいときに、お稲荷さんを信仰することにより立ち直ったといふ所が何箇所もあると、ある霊的能力者から聞いた。

お稲荷さんは、あとがこはいと聞いたことがあり、ちゃんと祀らないとあとでどうなるかわからないらしいのであまり触れずにゐた。
眷属がキツネで、ご本体は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で穀物神のやうだが、ご本体もキツネのやうだといふ説もある。ただきちんと祀られてゐるお稲荷さんは、レベルも高く正装もされてゐるとか。

元々、天橋立のほうに祀られてゐた豊受大神が、伊勢の外宮に勧請されて移られてこられたが、ウケとウカが意味的に近いところから、豊受大神と宇迦之御魂神は同じ(やうな)神なのかもしれない(推測)。過去の人たちもさう推測してきたやうだ。

伊勢の外宮の神は、国之常立神ともいはれてゐるが、豊受大神=宇迦之御魂神=国之常立神なのか・・・

よくはわからないが、宇迦之御魂神は謎だ。

ちなみに、伊勢の内宮の神は、見える霊能者によると男の神がおはす、といってゐる。
天照大神は男の神で、それもユダヤ系の人らしい。

豊受大神も男の神らしい。

古事記や日本書紀は、あまり正確ではないやうだ。

それはともかく、弊社のあるマンションの敷地には、大松稲荷社がある。
お稲荷さんといふことで、あまり参拝してこなかったのだが、
かうも本が売れないと、参拝したほうはいいのかなといふ氣になる。
(あとがこはくなければいいが。おそれで行動するのはよくないが。愛かおそれか)

サンマーク社は、本が売れまくってゐるが、何をしてゐるのだらう。
もちろん、社長が優秀で、編集者も優秀なのだらうけれど。

ノーマインドとマインドフルネス

最近、マインドフルネスが人気だ。
もともとは仏教の上座部仏教が東南アジア等に南伝した南伝仏教の行法のヴィッパーサナ瞑想のことだ。
「自分に気づいてゐる」行法のことのやうだ。普段、われわれは「眠ってゐる」(グルジェフ)から、
それから脱出するためには、「自分」に気づいてゐる必要がある。

ヴィパーサナ瞑想から宗教色を取って、西洋でビジネスマン向けやうつを治すための認知療法等に取り入れられ、名前も「マインドフルネス」と名づけられ、(ちょっと)一般化してきてゐる。

「マインドフルネス」って、名前だけからすると、「マインドがいっぱい」という印象をもってしまふ。
本来は覚醒を指すのに、「マインドだらけ」だ(苦笑)。妄想がいっぱい。

「ノーマインド」は、禅の「無心」から来てゐる。こちらも達磨がインドから南まわりしてきて中国に持ち込んだものだ(インドからチベット経由での中国への伝来は大乗仏教や密教)。
内容は、「マインドフルネス」と同じやうなものだ。
名前が正反対といふのが面白い(笑)。

古事記

今日(10月20日)、弊社から『古事記を奏でるCDブック 中巻』を出させていただいた神武夏子さんのコンサートがあった。
神武夏子さんの演奏は磨きがかかっていて美しいタッチと音色で、さらにベーゼンドルファーのピアノがそれらを増幅させて魅力をアップさせてゐた。
また、齊藤歩さんのフルートがふくよかな音色を響かせていた。
すばらしいコンサートでした。

話は全然変わるが、、
『古事記』に関しては、日本の昔の神話や歴史について書かれたもので、日本人の原風景をうつしてゐる作品だが、
個人的には納得いってゐないところがある。

なぜ、オオクニヌシ(オオナムチ)が葦原中津国(日本)を治めてゐたのに、アマテラスが自分の子孫が治める国だと言って、横取りしたのか?

国譲りをしてもらったのに(征服した?のに)、天孫降臨として降りたのが(朝鮮から来た?)、日本の中心の大和やまたは出雲ではなく、はずれの日向(宮崎県)に降りたのか?
(朝鮮から、日本列島に天皇家系の民族が入ってきて宮崎に入ったのか?)
国を譲ってもらったのなら中心地に行くのが普通では?

また、
なぜ日向(宮崎)の神武は、大和(奈良)を征服したのか。征服欲の強い人間だったのか。
武力で九州勢(日向勢が筑紫勢を征服し?)が、大和(奈良)勢を征服した。
弥生時代の銅矛文化(九州)と銅鐸文化(奈良)の状態から、銅矛文化(九州勢)が銅鐸文化(大和勢)を滅ぼし奈良を征服し、古墳時代(紀元3、4世紀)を作った。三種の神器は、鏡と剣(矛)と勾玉で、銅鐸は含まれてゐない。
そこから天皇家の王朝が始まる。1700年くらいの歴史。
征服者。
神武天皇は征服者だが、人徳があったのかだうか。
なぜひとの領地を奪ったのか。
(戦国時代みたいなものか。)

アマテラスもひとの領地を奪ひ、神武も奪った。
アマテラス系は、征服系だ。
あんまり好ましくない。

オオクニヌシ(オオナムチ)の時代も弥生時代で、いろいろなことがあったのかもしれないが。
(『万葉集』にも、オオナムチとスクナヒコナはペアで歌われ親しまれていた感がある)

大和にゐて全国を治めてゐたオオクニヌシ(オオナムチ)が天孫族によって出雲に封印されてしまった。

スサノオはだういふ存在だったのか。朝鮮系か。

日本の弥生後期や古墳時代前期は征服の歴史だ。

天皇といふ名前を飛鳥時代に付けられた今の王朝は1700年くらいで、それ以前に天皇のゐない弥生時代や縄文時代が1万年以上、日本の歴史にはあった。

それに、超歴史的にはいろいろあったと思ふ。

鈴木敏夫『ジブリの仲間たち』

今回は弊社の本ではなく他社の本の紹介です(笑)。
新潮新書から出てゐる鈴木敏夫さんの『ジブリの仲間たち』はたいへん勉強になった。

宣伝や広告について、ノウハウだけではなく人間的なつながりや時代を読む感覚等、いろいろ学びがある。

鈴木敏夫さんは数字にも強いらしく、雑誌『アニメージュ』の編集長時代、発行部数と売れ部数の差が10%以内でわかった(読めた)と言ってゐる。映画の広告費と興行成績との関連も数字で捕らえてゐる。

それぞれのジブリ映画が、いろいろな人間関係の中で作られ、宣伝告知され、公開されていく様がリアルな感じで述べられていて、臨場感がある。

鈴木敏夫さんは、ヒットするかだうかは二義的なことで、いい映画を作ることが一義的なことだといふ信念で仕事をされてゐる。そして、いい映画を出し続けるために売ることをしっかりとやっていってゐる。やり続けてゐる。それも綿密に。時代の感覚にも敏感に反応しつつ。映画監督の意思を尊重しつつ。

キャッチコピーを作るのも、コピーライターの糸井重里さんを使ったり、作家をつかったり、一流の人を使って、練りに練りこんでゆく。時代の感覚をとらへつつ。

見習ふところがたくさんある。ありすぎるほどある。

弊社も時代の感覚をとらへてゆきたい。
(最近は、とらえられてゐない)

映画産業も時代とともに変はっていってゐるといふ。
出版界もさうだ。
電子書籍が出、POD(プリント・オン・デマンド:1冊ごとに印刷して製本する)が出始め、インターネット上でも文章が氾濫してゐる。