もうスピリチュアルに新しいものはない?

数年前までは、スピリチュアルの世界では次々と新しいものが出てきて、わくわく?または興味深く見てきたが、最近は新しいものがなくなったやうに思ふ。
出尽くしたのかな。

弊社も最前線のものを提供してきたつもりでやってきたが、新しいものがない以上、最先端のものは出せなくなった(笑)。

今後は、古典か内容のしっかりしたものを出すしかない。

ライトワーカー部門では、一般とスピリチュアルの架け橋となる軽いものを出していくが。

大手や中堅の出版社も参入してどんどんライトスピリチュアルの本を出してゐるので、その分野はかなりの激戦だ。

外人著者もあまり売れなくなってきて(一部の著者は売れてゐる)、今は日本人の著者が市場の占める割合が高い。
日本の神様ブームもあいまって、日本のスピリチュアルが注目されてゐる。
まう、すごい数の日本人スピリチュアル・ティーチャーがゐる。

素人がぶっつけ本番では

なかなかいい感じに出すのは難しいですね。

12月15日発売のスタピ65号の第一特集「聴くといふこと」の付録CDで、チベタン・ボウルとチベタン・ベルの音の収録をしたが、ぶっつけ本番で鳴らしてみたけれど、素人まる出しの音になってしまった(大笑)。

これで「聴く」といふことの「会得」ができるのかな・・・
一応、問題提起といふことでご容赦願ひたいです。
まだ発売まで1ヶ月先ですが。

なんのことかわからないと思ひますが、
めずらしいCDといふことで。

ひとの思惑があるので、願望はかなうとは限らない

人生は自分だけで生きてゐるのではなく、人との関わりで生きているので、何かをしたいとき、だうしても人との交渉が生じる。
その人の思惑があるので、こちらの望みがかなうとは限らない。
多くの場合、かなわない。
諦めるしかない。

「簡単に願いがかなふ」といふ本ばかりが出ているが、人生の現実を無視したものだ。
まう、ほとんどかなわない。ユニクロの柳井さんも『一勝九敗』といふ本を出してゐるくらいだ。

であれば、逆に、
「簡単に諦められる本」みたいな本を出したほうがいいのかもしれない。
大部分「望む→かなわない→諦める」そして、たまに「望む→かなう」

望みがかなわないから煩悶したり、「引き寄せの法則」(成功哲学)に走って余計に煩悶したりするよりは、てっとり早く諦めたほうが精神衛生上いい。

あとは「神が在れば十分である」と思へば。

覚醒と善人

覚醒と善人は、直接は関係がない。
覚醒しても善人でない人は多いし、善人のほとんどは覚醒してゐない。
バーソロミューも、悟ってゐる人で高徳の人はまれだ、と言ってゐる。

覚醒は善人、偽善者、悪人によらず突如訪れる。

ただ、、、

愛の道を歩んでゐる人には、いずれ覚醒が起こる。
愛の道においては、おのれのエゴ(我)を無くさないといけないし、
相手のためといふお為ごかし(といふエゴ)も消さないといけないし、
その中で相手が幸せになる、全体的な働きの中で生きなければならず、
その生の中で覚醒は起こる。
なぜなら愛は覚醒であり、覚醒は愛であり、愛のあるところに神があるから。

ブルータス、お前もか


雑誌『BRUTUS(ブルータス)』の最新号の開運特集は、「開運」と言ひつつスピリチュアルな内容が満載だ。
そして、誌面の作りがセンスがあって、スタピの比ではない出来だ(笑)。

弊社で『ツキをよぶフォーチュンサイクル占い』を出させていただいてゐるイヴルルド遥華さんも出てゐるし、
何よりも圧巻なのは非二元のこともきちんと取り上げられてゐることだ。

服部みれいさんの書かれた「日本のスピリチュアルマップ」(P70-71)では、
最先端の位置づけで「空前の非二元論ブーム」と大きめで書かれてゐる。

そして、特集の最後を飾るのが中野真作さんのご寄稿だ(P90-91)。
非二元(ノンデュアリティ)で締めくくられてゐる!

まう一般誌がここまで来てゐるとは!

UFO問題関係者が活気づいてゐる!?

弊社で最近出した『ディスクロージャー』(スティーブン・グリア博士著)がひとつの起爆剤になって、にわかにUFO問題関係者が活気づいてゐるやうに感じる。

この活気が社会全般にも広がって、社会問題になって、国会でも議論され、開かれたありかたに変わっていってほしい。

1歩近づけば、100歩近づく

サティア・サイババは、「神に1歩近づけば、神は100歩近づいてくる」と言った。
これは覚醒について言ったことなのか。(少なくとも覚醒についても言へる)
1回一瞥しただけでは、覚醒(超越空間)は100歩は近づいてくれないが、
一瞥を何回も繰り返すと、一瞥しただけで覚醒(超越空間・神)は100歩近づいてくれる。

いろいろな面で疲弊し、ちょっと疲れ気味ではあるが、「神があるだけで十分である」といふマントラを唱へえれば安らぎを得られる。

意識の目覚め(覚醒)に役立つものを提供し、人類の目覚めに貢献したいといふ「願望実現」はなかなか実現しない。疲弊疲弊疲弊。
さうひふ人はたくさんゐると思ふし、人類の苦悩を全身に浴びてゐる人も結構ゐるかもしれない。
その代表がイエスだ。人類の苦悩を一身に浴びて死んでいった。
残ったのは何か。
イエスは甦った。

二元を通して非二元を知る

たいがいは二元に埋没しているが、時として二元を通して非二元(の神)を認識する。
二元がないと非二元(の神・超越者)は認識できない。
非二元から非二元を認識できない。だから非二元の神は自らを認識するために二元を創ったといふ話を聞いたことがある。
認識自体が二元的である。
二元的な認識の中で非二元を認識するのが「悟り」である。

枝野氏

弊社から今度出す予定の『ルノルマンカード』の著者の小宮さんとのミーティングのときに出たカードで、枝のカードが出て今回の選挙で枝野氏が躍進すると言ってゐた。
開票結果を見ると「立憲民主党」が野党1位になったといふ。
ルノルマンカード、当たるな(笑)。

今回の選挙では「希望の党」が掲げていた「ベーシックインカム」についてもっと話題になってほしかった。

「日本のこころ」は自主憲法制定なんですね。誰も当選しなかったけれど。
「自民党」は、もとは自主憲法制定のはずだったやうな。今は改憲?
日本人の多数は、原発OKなんだな(苦)。

「緑の党」はだうなったのだ・・・

ブッダが悟ったもの

ブッダが悟ったものは、禅僧が悟り、トニー・パーソンズやジャン・クライン、ルパート・スパイラ、アジャシャンティらノンデュアリティ(非二元)の人やインド系の悟った人と同じものだ。

自我が抜け落ちて、真相(プレゼンス)に目覚めただけだ。
ブッダの無我説とは、一部の仏教徒が誤解してゐるやうな魂がないといふのとは違ふ。
単なる自我が抜け落ちたといふこと。
生老病死を苦と見る自我が抜け落ちることによって、安らぎ(涅槃)を得たといふこと。

トニー・パーソンズとブッダは変わらない。

ブッダも他と同じ単なる覚醒した人だ。
それを仏教徒はブッダを神格化し、壮大なものにしてしまった(笑)。
大伽藍を立ててしまった。阿弥陀如来、大日如来まで作ってしまった。

仏教も単なる覚醒、非二元に戻してしまおう。
大袈裟なものは必要ない。等身大に。