第二次スピリチュアル・ブーム?

先日取材させていただいた若手女性スピリチュアル・リーダーの方が、
現在は、第二次スピリチュアル・ブームと言はれてゐた。

第二次?
ということは第一次とは江原さんのときの?といふことになる。
若い人にとっては年数的にさうなってしまふのかな。

その前にも、アセンション・ブーム、チャネリング・ブーム、トランスパーソナル・ブームや
OSHO、クリシュナムルティ、グルジェフたちのムーブメント等があり、
さかのぼれば大正時代の霊術の流行もあった。

時代時代で盛り上がりをみせてきた。

今のスピリチュアル・ブームって何だらう?
若手女性が音頭をとって、盛り上がっているやうに見える。
軽い感じ?
願ひが叶ふ系?

僕にはついていけない(笑)。

大手や中堅の抜けめない出版社は、さういふ人たちの本を出して売っていく。

わが社は、まう時代遅れなのか。

今のスピリチュアル・ブームにノンデュアリティ(非二元)は入ってゐない。
若い女性がもっとノンデュアリティに入ってくれたらいいのだが(大笑)

出版業は不況業種に経済産業省から指定された

昨日、金融機関の方と話したとき、その人から出版業は不況業種に経済産業省から指定されたと聞かされた。

ネットで調べるとあった。これのページの下のほうのPDFに出版業と書かれてゐる(苦)。

関連するところでは、
・映画・ビデオ制作業(テレビジョン番組制作業,アニメーション制作業を除く)
・テレビジョン番組制作業(アニメーション制作業を除く)
・映画・ビデオ・テレビジョン番組配給業
・レコード制作業
・ラジオ番組制作業
・新聞業
・ニュース供給業
・その他の映像・音声・文字情報制作に附帯するサービス業
も不況業種らしい。

さもありなん、、、か。

非二元(ノンデュアリティ)を流行らせるには(笑)

いっとき、(西洋からの)非二元(ノンデュアリティ)は珍しさもあって流行ったが、今は少し落ちついてゐるのかな。
でももうちょっと流行らせたい(笑)。

非二元の魅力をうまく伝えられてゐないからだ。
『早く死ねたらいいね』『あなたも私もいない』『愛に死す』みたいなタイトルは、自己否定のように見えて、
一般の人や引き寄せ系の自己の願望の実現を考えてゐる人には興味の対象にはならない。
真っ向から対立する(笑)。
さういふ人たちもの非二元の魅力を伝えることができたら、もっと広まるのだらうな。

非二元の魅力とは何だらうか?
一番の魅力は「何ともいへない気持ちのいい感覚」なのかな。
ワンネスとか、愛そのものとか、神の体験とかとも言はれたりするが、
「気持ちよさ」が一番なのかな。エクスタシー(忘我)とも言へるのかな。

引き寄せ系の願望実現で、この「気持ちのよさ」は得られないのではないか。
願望は願望を生み、次から次へと満たされない状態が続いていく。
非二元は、「満たされる」ことかもしれない。

清明

4月5日は、24節気の清明の日。

僕にとっては寅卯(2月3月)は四柱推命の空亡(算命学の天中殺)だったが、清明の日に空亡はあけた。
四柱推命がどこまで正しいかは不明だが、2月3月の不運を思ふとあながちといふ氣もしなくはない。

だが、4月も厳しい。

西洋占星術的にはだうなのだらう?

西洋占星術はいろいろな流れがあるやうだ。
伝統占星術は、今の占星術とは違ふやうだ。
伝統占星術の中には、医療占星術もある。

今後、西洋占星術も太玄社から古典となるものや面白いものを出していく予定。

活路

今月も窮地が続いてゐる。

活路を見出さなくては。

あの手、この手で。

ご迷惑をお掛けする方、すみません!

読者の方々も、弊社の本をたくさん買ってほしいな(笑)。
ワークショップにも参加してほしいです。

「探求は終った」とは?

悟った人はよく「探求が終った」といふ。
探求しつくして探求が終ったのではない。
探求しつくされることは決してない。
さうではなく探求それ自体が、マインド(思考)の働きであることを明らめたのだ。
探求ではなく生きること。

探求が終った人にとって、弊社の覚醒ブックスは必要がない(笑)。
そうなるのが本望だ。「探求が終る」ための覚醒ブックス。

最近の人 2

最近の人は忍耐力がなかったり、突発的に引き継ぎもなく辞めたりするが(年齢がいっていても)、
今日は、面接予定の方が何の連絡もなく来なかった。

知り合いの派遣会社の人からは3人に1人が面接でバックレるといふことを聞いた。
今はそんな時代なのか・・・

やることなすこと、ほとんどうまくいかない。
運気の低調が続いてゐる。
日頃の行ひがよくないのだらうな。

運は人を選ぶと桜井章一さんは書いてゐる。

桜井章一さんは達人だが、俺はいい年をしても何にも達してゐない。
何もわからないし、どうしていいかもわからない。
力みがあり、判断力の誤りだらけ。
今までよく持ちこたえてきたと思ふ。
その辺は運がよかったのかもしれない。
でも今はまう運も尽き果ててきたかな。

さういへば、最近といふかいつもといふか、日本の政治家は偽善的だ。
利害で動き、本来だうしていったらいいかで決めてゐない。
自分も偽善者だが、俺の100倍偽善だ。
みにくい。

「働き方改革」も偽善のやうに見える。
「偽善と感傷の国」と福田恒存は言っていたな。

いつの時代にも

いつの時代にも能力者(霊能者や直感力に優れてゐる人や抜きん出た能力の人)はゐて、それを紹介する人がゐた。
波のようにさういふ人が現れてきた。

今は、そのやうな人がゐなくなった時だ。波の低い時。

10年前に活躍してゐた人達は、まう退いてしまった。嗚呼。

今は、その人達の業績を噛み締めて、発信力のある人達が発信してゐる状態だ。

今は、発想力の点で低迷期か。

突出した人よ、出て来い。

神はいずこにありや

みんな神様(高次の霊的存在)を求めて神社に行く。
そこに神様がおられると思って。

神社はパワースポットに建てられてゐることが多い。
神様とは別に大地から出てゐるパワーを感じて神社を建てた。
それに神様を後からあてた感がある。

さういふパワースポットは重要だが、信望する神様がある地方地域に
固定化されてはゐないと思ふ。
神様は自由に移動できるのではないか。

神様を求めれば、そして共鳴共振できれば、いつでもどこでも神様と
つながるのではないか。

場所のエネルギーがすばらしいところと、
神様と。

覚醒もいつでもどこでも可能だ。
日常生活が即、覚醒の場所だ。

修行をどこか特別なところでするのではなくて
日常生活でする感じ。
グルジェフの第四の道だ。
(思考、感情、動作の各センターの修行をどこか特別な修行場でするのが、第一から第三の道。
三つのセンターを同時に日常で扱ふのが第四の道)