この世界に氣を入れることと、この世界から氣を抜いていくことと

二つの道がある。
この世界に氣を入れることと、この世界から氣を抜いていくことと。

成功哲学や引き寄せ系は、この世界に氣を入れてだうにかしやうとする。
『奇跡のコース』や覚醒系は、この世界は幻想だから氣を抜かうとする。
この世界なんかだうでもよい、だうならうが幻想、夢幻で、ゆるしまくって脱出する。
傷ついてもカルマの応酬なので甘んじて受け入れ、それでカルマも解消し、
あとは、それは幻想とみなして解放する。

この世界から脱出する。

この世界で、氣をつかひすぎて本を出版し、疲弊する。

人々の気づきになればよい(よいと思って出版する)が、それは結果としてだうなるかわからない。
ひとりよがりなのかもしれない。

氣を入れればいいのか、氣を抜けばいいのか。

意識が別次元をさまよってゐた?

今日、セッションを受けた先生から、数年前から意識が別の次元をさまよってゐて肉体にゐないと言はれた。
自分では自覚できてゐなかったが、さうだったのかもしれない。
セッション中に意識を肉体に戻してもらい、故郷の星も自分の中に入れるように誘導してもらった。
そのお陰か、体が温かくなった。

忙しすぎて、逃避してゐたのかな(笑)。
逃避してゐても仕事から逃げられず、こまごました仕事をこなしつつ、意識は逃げてゐたのかもしれない。
今でも逃げたいくらいだ(笑)。
なぜ、こまかい仕事がこんなに多過ぎるのだらう? 身体も精神ももたない。時間も足りないし。
寝てゐても仕事をしてゐるとその先生から言はれた(苦)。
そして、いくら休んでも疲れが取れないと。

でも、意識が肉体に戻ってきたので、何かが変はるのだらうか?
2週間くらいかけて変成していくと言はれた。
だうなるのかな。

丹田の道

マインドの道、ハートの道以外に、丹田の道があるのかな。

マインドは上丹田、ハートは中丹田。

下丹田に氣を集める道もあるのかと。

それが、日本の武道の道なのか。

下丹田は、グルジェフの動作センターなのかな。

丹田の道は、氣を下に落とすことによって、ノーマインドになりえる。
(肥田春充の悟り)
ただ、ハートを開くわけではない。

ハートに氣を注ぐべきか、下丹田に氣を注ぐべきか。

武道の極意はどこにも氣をとどめないことと言はれてゐるが。

マインドの道とハートの道

道にはマインド(思考)の道とハート(感情)の道がある。(それ以外もあるが)

奇跡のコース』はマインドの道だ。ハートのことよりもマインドが優先のイメージである。
今度出す『イエスとブッダが共に生きた生涯』でもそのことが明確に説かれてゐる。
そして『愛のコース』はハートの教へは説いてゐるが、『奇跡のコース』とは別もので、
純粋な非二元ではないといふ。

ニューエイジや海外のスピリチュアルの講師は、マインドよりもハートが大事と説く人のはうが多い。
マインドはエゴに基づいてゐるからといふ理由からかもしれない。
エゴの元はマインドだ。

それに対して『奇跡のコース』は「神のマインド」を説く。神のマインドはエゴなのだらうか?
神の思ひとは何か。

『奇跡のコース』は認識の変換(転換)を説くが、その認識はマインドのことで、マインドの転換が
必要なのだといふことを説いてゐるのかもしれない。
マインドの転換こそ、「覚醒」(悟り)なのだ。悟りはハートに属しない。悟りはあくまで知覚に属する。
マインドと知覚はイコールでないかもしれないが、同じ認識のグループになる。

でも覚醒(悟り)は、マインドが落ちること(ノーマインド)を指すのではないか。
マインドが落ちたときの知覚、認識を覚醒(悟り)といふ。

マインドの道を通して、マインドを落とす。

では、ハートに道は何をしていくのか?
ハートに重心を移すことによって、マインドを落とす?

くたくた

今日、残りの3月出版予定の本2冊を印刷所に入稿した。
『藍の書』も含め、ずっと詰めっぱなしで、まうくたくただ。

(本が売れてくれればいいけれど(笑)。『藍の書』は好調でうれしい)

気持ち的にはちょっとのんびりしたいな。

4月以降の刊行予定の本も山ほどあるので、だうなのか・・・

今日、エネルギーケアのワークを受けたのだが、僕のエネルギー状況は、
歪みと漏れでかなりひどい状態だった。まだ完全に修復できてゐない。
過去の感情と他者からの感情の影響を受けてゐて、歪んでゐる。

こんなに歪んでゐれば、他者に対してもきちんと対応できないのだなと思ふ。

肉体と精神の疲労とエネルギーの歪みと・・・

ゆるし2

世界に自己同一化してゐると、何かあるとついカッとなってしまふ。
世界から、人から、影響を受ける。

世界と自己同一化してゐないなら、世界がどうならうが、人がだう言はうがどうでもよくなる。
ラマナ・マハルシは「世界のことは世界に任せなさい」と言はれたが、
それが「ゆるし」だと思う(『奇跡のコース』のゆるし)。

ゆるしは、世界と自己同一化しなくなったときの結果だと思ふ。
認識の変換(覚醒)が起ったときに、ゆるしが起る。

まあ、なんでもよくなる(笑)。

世界の中で、あれがほしい、かうしたい、と生きてゐると自己同一化にはまってしまふ。
出版時の文章のチェックも、こっちの表現がいいと思って、ああだかうだとやってゐると
自己同一化のどツボにはまっていまふ。
あぁ。
自己同一化をやめて、なんでもいいと思ふと、本の質としていいのができないのかな(苦)。
本の質にこだわるのもエゴか。

過去生の一貫性

今度3月に出す予定のゲイリー・レナードの『イエスとブッダがお互いに知り合いだったときの生涯』の二人の過去生も一貫していて、二元から非二元へと向かっていく転生をしていた。

先日見てもらった先生からの僕の過去生も一貫したものだった。

何かシンクロを感じた。

ゲイリー・レナードの本では、人生や過去生は夢だと言ってはゐるが。
神のみが現実で、それ以外はすべて夢と。

出身の星と過去生

今日、はじめての先生のセッションを受けた。

出身の星と過去生を見ていただいたが(笑)、またしても今まで言われたことと違ってゐた。
なぜ、どの先生も違ふことを言ふのだらう。

前回見てもらった外国の先生は、僕の出身の星はアルクトゥールスと言ってゐたけれど、今日の先生からはアルクトゥールスではないと言はれた(笑)。
ただ、シリウス経由できたらしい。銀河系のどこかの星とのこと。
シリウスのエネルギーを入れてもらったら、僕の魂のサイズが大きくなった(笑)ので、さうらしい。

今回見ていただいた先生から言はれた過去生が今までで一番、今回の生に対して合理的な過去生だった。
1代前から5代前までさかのぼって見ていただいたがすべてが連綿としていて今につながってゐた。
他の人からはこのやうなことは言はれたことがない。

今回も、また初めて言はれた過去生だった(笑)。
みんな言ふことが違ふので、どの先生が言ってゐることが正しいか不明だが、今回のは説得力があった。
何か、心の奥で反応してゐるものがあった。
今までさういふ経験はあまりしたことがなかった。
少し心が開放されるのかな(笑)。

『前世を超えて』のやうに、過去生とは同時にたくさんあるものなのか・・・