気づき(覚醒)には怒りはない

気づき(覚醒)の意識には怒りはない。
バーソロミューも言ってゐるやうに、すべては一体であり、相手も自分であり自分の一部であり、さらにそれを超えた意識があることに気づいてゐる意識。そこに怒りは生じない。

怒りはエゴから生じる。

グルジェフのいふ「不快感を表現しないこと」も、覚醒意識であれば可能だ。

アセンションとは覚醒すること

アセンションとは5次元に次元上昇することと一般的には言はれてゐるが、
5次元とは空間(3次元)と時間の時空(4次元)を超えたところ。
そこに移行すること。
時空とはこの相対世界のことであり、5次元とは相対世界を超えた超越意識の世界。
つまり、悟り・覚醒の世界。
アセンションするとは、悟ること・覚醒することの別名なのだ。

世間一般で言はれてゐる軽っぽいアセンションは、ほぼ間違ひ(笑)。

アセンデッド・マスターがゐるとしたら、それは覚醒者、覚者(悟り人)のこと。
ラマナ・マハルシやバーソロミューのやうな存在だ。
何も派手な存在ではない。
肉体が霊化することでもない。
(仙道では白日昇天といふが)
霊化したところで相対的な体だ。
(さういふ霊化の道もあるが、それ自体は悟りではない。)

うわついたアセンデッド・マスターはインチキなのかもしれない。
スターとファンの世界ではない。